In a blue moon


 幼い頃、ある人がこんなことを言っていた。
「僕は朝目覚め、家を出る時、
 今日はどんな一日になるのだろう?と思ってわくわくします」
同意も理解もできなかった。
いつもと同じ朝を迎え、いつもと同じ時間に家を出て、いつもと同じ電車に乗る。
そして、いつも自分に与えられたものをただこなすだけ。
何の疑問もなく、当たり前のように繰り返す。
感情を持たない人形のように、機械のように…。
私にはそんな毎日しかこなかった。
何も変わらない、平坦な日常。
特に不満なわけでもなかったが、満足しているわけではなかった。
抜け殻のように生きていた、あの頃の私。
今も変わりはしないけど、昔よりはマシな生き方をしていると思う。


 「真菜ー、三限休講だって!」
昼休み、学食で私がサンドウィッチをほおばっている時のことだった。
友達の綾香が嬉しい知らせとともに、
目の前の椅子に滑り込んできた。
「マジで?」
口にしていたサンドウィッチをお茶で流し込んでから私は答えた。
「ねぇ、これからどっか遊びに行こうよ」
その日の授業は三限までだったので、
これ以上大学にいる必要はなかった。
午後は私たちのものになったのだ。
「そうだね。せっかくだし、どっか行こう」
「じゃあさ、明宏と直哉も誘って…」
綾香がそう言いかけた時だった。
「次の時間、休講だってよー」
という言葉とともに、
私たちの隣に二人が座ってきた。
今まさに、綾香が口にした名前を持つ二人である。
「ちょうどよかったー。
 明宏と直哉を誘ってどっか行こうって真菜と話してたんだ」
「マジっすか!?
 もちろんお供させていただきますよ」
綾香と明宏がノリよく話を進めていった。
横で二人の会話を聞きながら、
直哉は鞄からコンビニで買ってきたと思われるおにぎりをだして食べ始め、
私はお茶を口に含んだ。
いつもこんな感じだ。
去年の夏休み明けから私たちは急激に仲良くなった。
これといったきっかけはわからないが、
あえていうのであれば、綾香と直哉が喫煙所でよく会っていたことであろう。
二人は煙草を吸うのでしばしそこで遭遇し、
いつの間にか声をかけあうようになった。
さらに四人が同じクラスで、
同じ授業をとっていることが多かったからであろう。
こうやって四人でつるむことがごく自然で、
当たり前のこととなっている。
「…というわけで、ボーリングに行こう!」
隣にいた明宏にそう言われながら軽く肩をたたかれ、はっとした。
明宏を見ると、にっこりと笑っていた。
「行くー!」
私は笑顔で答えた。

 「おっしゃー!ダブルだぜ!」
今日の明宏はえらく調子がいいらしい。
ゲームを始めて六投目になるのだが、
さっきからスペアやらストライクやらだしまくりである。
「調子良すぎだなぁ」
彼を眺めながらため息まじりで直哉が言う。
「そういう直哉だって調子良いじゃない?」
綾香がスコア表を見ながら言う。
平均八本を倒し、スペア、ストライクも適度にでている。
そんな彼らとは対照的な私。
「次、真菜の番だぞ」
すがすがしくこちらに戻ってくる明宏が私に向かって言う。
うぅ…行きたくない。
泣きたくなるような気持ちで、億劫そうに立ち上がった。
「真菜、頑張れ」
優しい声援を送ってくれる直哉に、
ひきつったであろう笑顔を返した。
重いボールを持って、レーンの真ん中に立つ。
離れた所にある十本のピンを見据え、一息つく。
そして何も考えずに投げたボールは、
真ん中よりやや右よりで真っ直ぐに転がり、
十本のピンを全て倒したのだった。
「…やった」
思わず私の口から言葉がもれる。
後ろを振り返ると、三人があたたかい拍手を送ってくれている。
私がはしゃぎながら皆のもとに戻ると、
明宏が手のひらを上に向けて差し出してきた。
「ストライク、おめでとう」
「ありがとう」
私は彼の手のひらに自分の手のひらをおくようなカタチで軽くたたき、
綾香と直哉にも同じようにした。
それからボーリングはさらなる盛り上がりをみせたのだった。

 調子にのって三ゲームもやってしまった私たちは、
最後の方はへとへとになっていた。
もはや何本倒すかで競うのではなく、
いかに面白い投げ方ができるかで競っていた。
疲れたけど、ばかみたいにこうやって楽しむことが時には必要だと思う。
「さすがに三ゲームは疲れたねぇ」
綾香が伸びをしながら続けて言う。
「さてと…これからどうする?
 ちょっと早いけど夕飯食べてく?」
ボーリング場を出ると、日は沈みかけていた。
「そうだね、どうしようか…」
私はそう言いながらあとの二人の顔色を窺う。
「ごめん!」
明宏が私たちに向かって両手を合わせ、頭を下げた。
「ちょっとこれから約束が…」
彼が言いにくそうにしていると、
その先を綾香が代わりに言った。
「あー、もしかして彼女さんと約束?」
「ホンットに悪いな」
明宏には彼女がいる。
高校の時から付き合っているらしいが、
私たちには彼女について多くは語らない。
なにせ、名前すら教えてくれないのだ。
でも、結婚を決めているということだけはわかっている。
一体どんな人なのだろう…と、
三人の想像は膨らむばかりであった。
「じゃあ、もう行くわ」
「うん、わかった」
三人は手を振って、立ち去る明宏を見送った。
「さて…と、じゃあ三人で食べに行く?」
綾香はちらりと見て言った。
「あぁ、そうしようか」
直哉はにっこりと笑い、
私も「行く」と大きく頷いた。

 三人は近くにあった居酒屋に入った。
案内されたテーブルに綾香と私が隣に座り、
その向かいに直哉が座った。
お酒を頼み、綾香が適当に料理の注文をした。
店内はがやがやしていた。
向こうの方から、盛り上がっている学生の声が聞こえる。
「煙草、吸ってもいい?」
直哉がそう言いながら灰皿を引き寄せた。
「うん、いいよ」
私が答えると、
「ごめんね、私も」
と、綾香も続いた。
二人はよく煙草を吸う。
ヘビースモーカーとまではいかないが、
暇さえあれば煙草をよく吸っている。
私は煙草は嫌いだけれども、
二人の吸う煙草は嫌いじゃない。
嫌いじゃないというより、
気にならなくなるまで慣れてしまったという方が正確かもしれない。
ライターの音がして、煙草を吐き出す息づかいが聞こえる。
煙草を吸う二人の姿は、妙に大人びて見える。
「ふぅ…明日の授業も休講にならないかしら?」
「ホントだよねー。大学がこんなにも大変だとは思わなかった」
綾香と私は、お酒を手にしながら話していた。
「俺はべつに…」
「直哉はねー、遊びすぎよ」
綾香は煙草の先を直哉の方に向けた。
そう、彼はちょっと夜遊びしすぎるところがある。
それで大学をサボることが多々あったりして、
単位もギリギリだった。
要領が良さそうに見える彼は、
実は下手だったりする…こういうことに関しては。
「あ、ワリィ」
直哉は突然煙草をもみ消し、
ズボンのポッケから携帯を取り出した。
「ちょっと電話してくるわ」
彼は一言だけ言い残して席を立った。
私はテーブルに並べられていた料理をつまみ始めた。
すると、綾香が私の肩をつついた。
「最近、どうなの?早瀬先輩となんかあった?」
「べつに、何も…」
私の答えに、彼女はがっかりした反応をみせた。
早瀬先輩とは、私が入っている写真部の先輩で、
今年の三月に大学を卒業し、今は社会人として働いている。
「ん、真菜の携帯鳴ってる」
「あ、ホントだ」
「ウワサをすれば、本人かしら?」
面白そうに言う綾香の予想は的中した。
早瀬先輩からのメールだった。
今度の日曜に一緒に写真を撮りに行かないか?というお誘いだった。
「相変わらず色気のないこと」
綾香は呆れて言ったが、
私の顔を見てため息をついた。
「あーハイハイ、それでも満足なんですよね」
私はにっこりと肯定した。
さっそく行くという返事をしている最中に直哉が帰ってきた。
「悪い。ちょっと帰るわ」
彼は荷物を手にして、私たちにすまなそうな顔をした。
財布からお金を出そうとした彼に、
「お金はいいわよ。払っとく。
 モテる男は大変ね…」
と、綾香が冷たい笑顔で嫌味を言った。
それをかわして、彼は私にだけ別れの言葉を言った。
「じゃあな、真菜」
私は携帯を片手に、彼に別れを告げた。

 「ねぇ、なんで真菜は早瀬先輩と付き合わないの?」
帰りのことだった。
綾香が私にやや絡み気味に尋ねてきた。
「え…」
「よくでかけたり、メールしたり、仲良いのに…」
答えようがなかった。
「好きなんでしょ?」
私は、笑って誤魔化すしかなかった。
「…やだ、まさか。
 まだ前のこと引きずってるとか?」
肯定も、否定もできなかった。
「いいよ、あんな男。マジふられて正解だってー。
 私はね、真菜にはもっといい男と幸せになって欲しいの!」
彼女は私と腕を組みながら、
片手で握りこぶしをつくってぶんぶん振り回していた。
「綾香、今日たいして飲んでないよね…?」
「もうっ!聞いてるの!?」
次の瞬間、彼女はふらふらっとよろめいてしまった。
「ちょっ…帰れる?」
「んー…晃呼ぶからいい」
晃は綾香の彼氏のことである。
友達の紹介で付き合ったらしく、
今は同棲に近い付き合いをしている。
綾香が電話をしてしばらくすると、彼は車で迎えにきた。
「ごめんね、真菜ちゃん。
 よかったら送っていこうか?」
「いえ、私は電車でスグですから」
こうして、二人を乗せた車は大量の光の流れに加わっていった。

 私は家に帰ってシャワーを浴びてからベッドの上に倒れこんだ。
そして携帯を手にして、さっきの早瀬さんからのメールを何度も読み返した。
胸がいっぱいになり、大きく深呼吸をした。
頭は何も考えられなかった。
ただ、今度の日曜に早瀬さんに会うという事実だけを受け入れた。


 “人を好きになる”ということは、どういうことだろう?
このように自問したところで、簡単に自答できるものではないだろう。
理屈じゃないのだ。
口でいくら説明しても、実際に味あわなければ理解しがたい。
それは突然、思ってもみないところで起こるのだ。
私はこれまでに、何人かの人を好きになったが、
いつも片思いで終わった。
世の中では人々は簡単に付き合うようだが、
私は例外だった。
多分、何かが足りなくて、何かが間違っているのだ。
そう。誰のことを本当に好きだったのだろう…。
私は好きな人をつくろうと焦っていた。
前の人のことを早く忘れようとしていたせいかもしれない。
確かに、その時、その時に感じていた気持ちは嘘や作り上げられたものではないと思う。
しかし、どれも一過性に過ぎない。
単なる友達としての好き?
それとも本当に恋愛感情としての好き?
少し冷静になればそれがどういった感情か落ち着きをとり戻せたはずなのに。
そのことに、最近ようやく気がつくことができたのだ。
私が心から好きになり、想い続けていたのはたった一人…。
なかなか忘れられなかった人…。
あの人だけだったのだ。




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