In a blue moon


 太陽がとても眩しい。
青い空と白い雲が明るく見える。
ちょっと動いただけでも汗がにじみでて、
暑さから逃れられない。
季節は夏真っ只中。
そして私たちは試験最終日を迎えていた。
この試験さえ終われば、あとはもう夏休みだ。
明宏と直哉と私は、一緒に最後の試験を受けていた。
持ち込み可だったので多少気楽だったし、
記述式の問題自体もそんなに難しくなかった。
なので、試験時間半分を過ぎたところで終わってしまった。
試験は三十分を経つと、退室が認められている。
私はしばらく教室を出ないでいようと思ったが、
直哉が答案を提出して教室を出て行ったのを見て、
自分も退室したいという気分になった。
明宏が終わらないかと少し様子を見ていたが、
まだ当分かかりそうだったので、
私は席を立つことにした。
教室をでると直哉の姿はなかった。
喫煙所かと思い、そこへ向かうことにした。
大学内にはいくつか喫煙所はあるが、
彼がだいたいいる場所は決まっていた。
人があまり来ない、校舎裏の何もない所。
綾香もそこでよく吸っていた。
校舎の廊下を歩いて裏側にでるドアを開ける。
外に出ると予想通り、彼はいた。
ベンチに座って一人、煙草をふかしてした。
「お疲れ」
私はおそるおそる近づく。
直哉は煙草をくわえたままこちらを向く。
煙とともに彼は言葉を吐いた。
「お疲れ…座れば?」
私は答えるかわりに彼の隣に座った。
「…明宏は?」
「まだ、試験受けてるみたい」
直哉はしばらく煙草をふかすと、灰皿にもみ消した。
次の煙草をだすのかと思いきや、
彼はライターをカチカチといじるだけだった。
火をつけたり、消したり。
その音もやがて消えてしまった。
二人を沈黙が包む。
今までにちょっとない張り詰めた空気。
私は何か話そうとしたが、
その空気をぶち破る勇気もなく、
結局黙り続けたままでいた。
「…真菜」
彼が声をかけてくれたのでほっとしたが、
彼の顔を見るとそれもすぐに消えてしまった。
これまで見たこともない真剣な表情。
直哉はこういう顔であったかと…
それまでの自分の記憶を疑った。
「なに…?」
かすれてうまく言葉にならなかったので、
そのあとに小さな咳払いをした。
「真菜…俺と付き合ってほしい」
彼は静かに言った。
鼓動を打つ速さが急に早まった。
「え…」
「好きだ」
突然の彼からの告白に、私は戸惑ってしまった。
いや、そんなもんじゃない。
かなり動揺してしまった。
「や、やだ…からかってるの?」
「違う」
私の言葉に対して彼は簡潔に答える。
「待って、直哉には彼女がいたよね…?」
「二ヶ月前に別れた」
「え…だってそんなこと一言も…」
「これまで遊んでた女とも全部きった」
彼の言葉に頭がついていかない。
「疑うなら、俺の携帯見てみる?全部消したよ」
「いい!見せなくていいから!!」
携帯を取り出して見せようとした彼を、
私はとめた。
私はただ呆然としたまま動けなかった。
「ごめん、真菜…本当は今さらこんなこと言える立場じゃないけど」
そう、私は去年の冬に直哉に告白してふられている。
私は彼がとても好きだった。
軽くて遊びが激しい…私が最も苦手とする人種だったが、
いつの間にか心惹かれていた。
私も、彼の巧みの罠にかかった一人だ。
それでも、彼は私を遊びとしてでも恋愛関係に持ち込もうとはしなかった。
正直、ショックだった。
気持ちを受け入れられなかったのはもちろんだが、
女としても見られていない気がして…。
私は落ち込んで立ち直れなくて、
彼とも友達としてやっていける自信がなくなった。
そばにいる限り、気持ちが冷めることはないから。
しかし、彼は何事もなかったように友達として接してくれた。
多少なり気まずさもあったが、次第にそれも薄れていった。
ふられてからも彼が無茶をしていないか気がかりで仕方なかった。
でも今はそれ程ではないと思う。
私は少し経ってから早瀬先輩の優しさに触れ、
心動かされてからは。
直哉とは友達としてやってきたし、それに私は…。
「もう遅いかもしれない…けど、
 俺には真菜が必要なんだ」
夜遊びをやめて真面目に大学に来るようになったのは、
まさか、私のため…?
「いつでもそばにいるよ」
私に真剣な気持ちをぶつけてきている。
そんな彼に、苦しいくらい心が揺らいだ。
騙されてるのかもしれない…
だけどもう、胸の高鳴りが抑えられなくなっていた。
ワタシハ マタ カレノワナニ ハマッテシマウノダロウカ…?
「俺と付き合ってください」
「…はい」
後先考えず、その瞬間の自分の気持ちに素直になった答えだった。

 夏休みに入ってまもなく、私は綾香の家を訪れた。
正確には、あきらさんと綾香のだけれど。
もともとあきらさんが一人暮らしをしていて、
付き合いだしてしばらくしてから綾香もここで生活を共にすることが多くなった。
既にほぼ同棲していたが、今回正式に一緒に暮らすことになった。
たいして古くはないマンションで、
2Dkと家の中も狭くはなかった。
私は椅子に座りながら、周りをやたら見回した。
「やだ、そんなに見ないでよ」
綾香はそう言って私の目の前にアイスティーを置いて、
向かい側に座った。
彼女に会うのは久々だった。
授業はほとんど休んでいたし、
試験も一つも受けなかった。
もう辞めてしまうのだから、
あの緊張感をわざわざ味わう必要はない。
それが彼女の言い分だった。
私はガムシロップを入れ、
かき混ぜてからアイスティーを口にした。
グラスをテーブルに置くと、
氷が動く音がした。
綾香は私が買ってきたケーキを食べながら尋ねる。
「どう?大学は。
 私がいなくて寂しいんじゃない?」
悪戯っぽい目をしながら、意地悪なことを言う。
「そんなことないもん!」
図星なのが悔しくて、私はふてながら否定する。
「ハイハイ。明宏も直哉もいるもんね」
彼の名がでて、一瞬心臓が飛び出した。
「変わったこと、特にない?」
彼女は知らないフリをして、私に探りを入れているのだろうか…?
私は、ケーキを食べようとして持ったフォークを下に置く。
「…直哉と、付き合うことになった」
そう、ぽつりと呟くと、部屋が静寂に包まれた。
時計以外、何も動かなかった。
誰かが一時停止を押したようだった。
「…は?え…直哉と?」
綾香がめずらしく動揺している。
聞き間違いをしたかというように、言葉を失っていた。
「どういうこと!?」
彼女はそう言ってテーブルに手をついて立ち上がる。
怒っているわけではない。
本当に心から驚いているのだ。
「試験最終日に、直哉に告白されたの」
私はおそるおそる事実を述べた。
綾香は意識をとり戻したようにして肩の力を抜いた。
とても小さなため息をついてから椅子に座り、
肘をついて口を手で覆った。
「まったく…アイツ、何考えてんのかしら」
なんてことをぶつぶつ呟いた。
私はそんな綾香を見ながらケーキを口にした。
「ねぇ」
彼女の荒い語気に思わず顔をあげる。
「真菜はそれでいいの?早瀬さんは?」
鋭い視線と言葉が私を射抜く。
「早瀬先輩は…もう潮時かなって。
 彼も社会人で忙しい中、
 私のことなんて構ってくれないだろうし…」
そう話ながら、脳裏には早瀬先輩を最後に見たあの光景が浮かびあがっていた。
「それに今は、直哉が好きだから」
本当は何かあったのだろう…と、私が言わなくても綾香は察したようだった。
彼女は諦めたように、納得したように笑った。
「まぁ、真菜が望んだことなら…
 なんかあったら言いなさいよ?アイツ、ただじゃ済まさないから」
「うん、ありがとう」
その時私は、自分の言った言葉に重みを感じていた。
直哉と付き合っているという実感がなかったし、
自分の気持ちにも自信がなかった。
“好き”という気持ちを言葉にすればする程、
何かぽっかりとしたものに落ちていく気がして恐くなった。
不安に駆られて仕方がなかった。
私が望んだこと…ホントに?
わからない。
私は心から直哉が好きなのだろうか?

 しかし、そんな不安も付き合っていくうちに薄れていった。
直哉と毎日メールして、電話でたわいもない話をして。
たまにでかけたりした。
私は日ごと彼と何かをする度に、
彼への気持ちが確信へと変わっていくのがわかった。
そして私のその気持ちがそのままはね返ってくることを嬉しく思い、
また同じ気持ちであることを感じることができた。
あぁ、この人は本当に私のことが好きなんだ…と、
恥ずかしながらに伝わってきた。
好きな人といることがこんなに幸せで、
心あたたまるものだとは知らなかった。

 でもその一方で、戸惑うことも多くあった。
私は彼とは違って付き合うことに慣れておらず、
手を繋ぐだけでもいっぱいいっぱいだった。
頭が真っ白になって、どうしていいのかわからず、
握られた手で握り返す力が入らなかった。
抱きしめられるだけでも体が変に強張ってしまった。
直哉に申し訳ないと思ってその度に謝ったが、
彼は笑顔でなだめてくれた。
「平気だよ。どんな真菜でも好きだから」
私はその言葉に、
いつの間にか甘えすぎていたのかもしれない。










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