In a blue moon
数日後、大学に行く途中でいきなり肩をつかまれた。
驚きながら顔をあげると、明宏が息を切らせて目を輝かせていた。
「お、おはよ…どうしたの?」
「昨夜遅くに連絡があった…」
明宏の息がまだ切れている。
私を見つけてここまで走ってきたのだろう。
「…誰から?」
私は明宏が誰のことを言っているのか半ばわかっていたが、
念のために確認してみた。
「直哉だよ、直哉!
ホント心配させやがって…きつく叱っておいたわ」
明宏の口調は怒っていたが、顔は笑っていた。
よほど心配していたのだろう。
安心した様子がよくわかった。
「そっか…それで直哉は何て?」
「あ、あぁ…なんか今一人で放浪の旅をしてるらしい。
行き先とか何も言わなかったけど、なんとかやってるらしいよ」
彼にとっては、意外な行動だった。
理由はないけれど、放浪の旅なんてするタイプではないと思っていた。
彼は何か変わった。
「真菜のとこになんか連絡あった?」
「ううん…何も」
「まじか?ほんっと駄目だな、アイツ。
彼女ほったらかしにして」
明宏が慰めてくれていたのを壊したくなかったが、
私は正直に話した。
「…私たち、夏休みの終わり頃に別れたの」
私の一言でそれまで明るかった明宏の表情が一転した。
「ごめんね、黙ってて…言いにくかったの」
「いや…そんないいって」
謝る私に明宏が言葉をつまらせていた。
直哉は明宏に自分の行方の連絡をしたが、
私にはしなかった。
明宏は友達だから…じゃあ、私は?
もう私は友達でもなんでもないんだね…。
そんな極論が私の頭に一瞬にして浮かんだ。
私は下くちびるを噛みしめた。
「つらかったでしょ…」
明宏の言葉が、今まで私を支えてきた何かを一気に崩した。
堰を切ったように涙が流れた。
止められなかった。
「あいつ、ずっと悩んでたんだ…」
明宏がいつになく真剣な顔つきで話を切り出した。
私たちは大学近くのカフェに入り、
コーヒーを飲みながら向かい合って座っていた。
私がとても授業に出れる状態ではなかったからだ。
私はさっきまで涙を拭いていたタオルをぎゅっと握りしめながら、
明宏の次の言葉を待った。
「去年、真菜が告白してからずっと悩んでた。
逃げるようにして毎晩遊んでたなぁ…」
私はそんなこと知らなかった。
私の告白で彼に変化があったこと…考えもしなかった。
「あのね、落ち着いて聞いてね」
明宏が手を組んで少し身を乗り出す。
「直哉はね、ずっと真菜のことが好きだったんだよ」
「…えっ!?」
聞き間違いかと思った。
心が乱れた。
「でも気持ちとはウラハラに悪い癖は直らなくて…
嫌な言い方だけど、男のああいったのってしょうがないっていうか、
とにかく本能的なもんだからさ」
明宏は話を続けるが、私は相槌さえ打てなかった。
「真菜はそういうの嫌いだってアイツもわかってて、
だからやめようとしたんだけど、なかなか…
自分のそういう甘さっていうか弱さを感じいて、
真菜にはふさわしくないって思ったんだ」
頭はぼんやりしていたが、カフェ内の雑音は耳に入ってこなくて、
ただ明宏の言葉だけに集中していた。
しかし、うまく言葉を理解できないでいた。
「真菜のこと傷つけるってわかってたから、
真菜からの告白を断ったんだ…」
私は視線を落とす。
「そんな…私には考えられない。
好きなのに気持ちを受け入れないなんて…私だったら断らない」
「世の中にはそういう人もいるんだよ…
直哉は変なとこが真面目というか…真剣に考えすぎるところがあるから」
頭の中を整理しようとしたが、できなかった。
思いっきり殴られたような衝撃で真っ白になっていたし、
心がとても重苦しかった。
明宏はコーヒーを一口含んでから、また話始めた。
「アイツ、変わっただろ?」
「うん…」
私は彼の問いかけに辛うじて答える。
「あれはね、綾香の結婚がきっかけだったんだ」
ゆっくりと記憶を辿る。
そういえば、二つの出来事は時期的に同じくらいだった。
「結婚ってさ…なんていうか、重みがあるじゃん?
俺たちは若いし、ましてや学生だし。
でも一人のヒトと生涯を共にしようっていう綾香の決断を知って、
直哉は今までの自分を振り返ったんだ。
“こうやって遊んで、何人もの女と意味のない関係を結んで、
俺には何が残るんだろうな…”
アイツ、めずらしく真面目な顔して言ったよ」
明宏はその時のことを今でも鮮明に覚えているようで、
少しでも私に伝えようとしていた。
「潮時だって感じていたんだろうな。
それからすぐに夜遊びはやめたよ」
だから彼は大学に来るようになり、
それまでとは違う生活を始めたのか…。
疑問だったことが、ようやく一本の線で繋がった。
「アイツは変わろうとしてた。
実際それは表面化したしな。そして…」
彼が間を空けたので、私は顔をあげた。
「そしてずっと好きだった人に告白した。
その人のために誠実になろうとしたんだ。
その人だけを想おうと…」
私の視界がまたぼやけそうになった。
「直哉は真菜のことが、本当に好きだったんだ」
いつの間にか季節は完全に秋になっていた。
私の心はまだ夏だったが、気がつけば10月半ばになっていた。
私は相変わらず大学に行って明宏と授業を受け、
たわいもない話をした。
たまに綾香の家に遊びに行ったりもした。
何も変わらない日々が続いていた。
直哉は未だに行方知れずだったが、
それももう当たり前のようになっていた。
明宏にあったたった一度の連絡以来何もないが、
きっと元気にやっているのだろう…そう信じている。
直哉について明宏から真実を聞かされた時、
あまりの衝撃に何も考えることができなかった。
しかし日が経つにつれてだんだんと冷静になり、
私は色んなことをじっくり考えた。
考えて、そして自分の気持ちに素直になることにした。
自身の気持ちを見つけることはとても恐いことだけど、
私には認めることしかできなかった。
日曜日。
私は久々に撮影に出かけることにした。
早瀬先輩と一緒にではなく、一人で。
彼が今何をしているのかは知らない。
もう音信不通になってからだいぶ経っていた。
木々の葉が鮮やかに色づき、
秋を感じさせる公園に向かった。
家からそうたいして離れていない所だ。
こうやってレンズ越しに景色を見るのは本当に久しぶりだった。
早線先輩と行った海以来、撮影していなかった。
なんとなくそんな気分になれなかったからだ。
柔らかな日差しが木漏れ日からこぼれる。
私は夢中で写真を撮っていた。
しばらくすると、携帯が鳴った。
メール用の着信音ではなかったので、
誰かから電話がかかってきていたということがわかった。
私はカメラを近くのベンチに置いてから携帯を手にした。
目を疑った。
私は電話のかかってきた相手に、確実に動揺した。
「もしもし?」
電話に出ると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「もしもし…直哉?」
私は確かめるように声の主の名を呼ぶ。
「あぁ…元気にしてたか?」
静かに、ゆっくりと彼の声が耳もとに届く。
「…元気にしてたか?じゃないでしょ?
突然いなくなったりして…今ドコにいるのよ?」
私は思わず泣きそうになったのを堪えたが、声はうわずっていた。
彼とは別れたにも関わらず、そんなことは頭になかった。
ただ自分が安心していることと、
気持ちが波打つのを感じていただけだった。
「ごめん。何も連絡しなくて…これから帰るから」
頬に涙がつたった。
「ねぇ、真菜?」
「なに?」
「…会いたい」
彼の一言が、私の心を貫いた。
胸がぎゅっと苦しくなった。
「…私も、会いたい」
私は、私の気持ちを言葉にした。
一人になって、やっと気づけたんだ…
私の気持ちに。
過去を忘れたくてあなたを好きになったのかって自問してた。
けど、違ってたんだ。
いつからか、本当にあなたのことを…。
ねぇ、今なら戻れるかな?
またやり直せるかしら?
でも今はそんなこと、どうだっていい。
私はただあなたに会いたいんだ。
伝えたいことがたくさんある。
それをあなたに聞いて欲しい…。
私は携帯を握りしめたまま、
葉が敷き詰められた道を走りだした。