18〜eighteen〜


 しかし気持ちというものは生モノだから、変化する時だってくる。
実際、そんな気持ちの変化が訪れた。
何がきっかけとか全くわからないのだけれど、
先生に対してすごく冷めた時があった。
私の中に「私、なんでこの人が好きなんだ?」という疑問が生じた。
先生を見てれば見てる程わけがわからなくなって、嫌になった。
本当に嫌で嫌でしょうがなかった。
イライラしすぎて、吐き気のような気分にもなってしまった。
顔を見たくなければ、声も聞きたくなかった。
こんな気持ちになってしまったのは初めてで、戸惑ってしまった。
自分の異変に疑問を投げかけつつ、トイレから帰る時だった。
給湯室を通りかかると、先生が煙草を吸っていた。
いつもなら私の足音に気がついて振り向いてくれるのに。まして、
私の気配に気が付いてるはずなのに、先生は背を向けたままだった。
その時、先生に対してあまり良い気持ちをもっていなかったので、
そのまま無視していこうと思った。
でも気が付いたら声をかけていた。
私は何をやってんだ?と考えながら先生と話していたので、
話の内容は頭に残っていなかった。
気持ちがもやもやしながら話していたが、
そのうちにいろんなことがどうでもよくなっていった。
すごく嫌な気持ちでいたのに、全てがきれいに消えてしまった。
嫌なことみんな…。
先生と話すことで気持ちが満たされた。
そればかりか、先生のことが気がかりになってしまった。
先生は12月31日に、英文法の総復習をしようという補習を計画していた。
もちろんテキストは先生が作成しなければならなかった。
冬期講習はすでに始まっていて、31日まであと1週間程度しかなかった。
先生は授業がない間にずっとつくっていた。
朝の6時に寝て、9時に起きるという。
そのため、先生はものすごく疲れていた。
煙草を吸う回数が増えたという所から、それがよく分かった。
テキストをつくる上に、塾の仕事も山積みにある。
私はなんとなくメールで励ましたくなった。
べつに直接励ませばすむことだが、
それだけではあまり効果がない気がした。
でも、受験が終わるまではメールをしないと約束をした。
そんなもどかしさを抱いたまま25日になった。
「今日、授業ないの?」
煙草を吸いながら先生は私にそう尋ねてきた。
「うん。先生は授業があるの?」
「高1のがね」
「そっか…。先生、今日クリスマスだよ?」
「世の中ではそうらしいね」
先生はため息と煙草の煙を一緒にはきながら言った。
妙な沈黙になってしまったので、私が
「…なんかしないの?」
と聞くと
「仕事だっつーの。けんか売ってんの?」
と言われてしまった。本気で怒っているのかは分からなかった。
私は自分の言ってしまった一言に後悔した。
どう反応していいのか困って黙ってしまった。
その場にいてはいけない気がした。

 同じ日の授業後、先生はまた煙草を吸っていた。
声をかけようか迷っていたら、先生が振り向いた。
「お疲れ様です」
とお互いに言った。さらに私が
「先生、煙草吸いすぎ」
と言った瞬間、また余計なことを…と心の中で思った。
私はいつも先生に余計なことを言ってしまう。
伝えたいことはもっと違うことなのに。
先生は普通に
「それだけ疲れてるってことだよ」
と言ってくれた。
私はそれで安心してしまい、言葉を続けてしまった。
「でもよくないよ…てか、『おまえに言われたくないよ』って?」
「いやいや…いけないってわかってるんだけどね」
先生はそう言って、しばらくしてから煙草を消した。
塾に戻ろうとしたから、私がその後をついていきながら
勇気をだして一言言った。
「ねぇ…疲れた?」
聞くまでもない質問に先生は当たり前のように答えた。
「もちろん疲れてるよ」
「じゃあ、久しぶりに掃除を手伝ってあげようか?」
「え?本当に?」
私はその反応に嬉しくなって、付け加えて言った。
「もう、掃除することもなくなるだろうしね」
「あー…懐かしい思い出になるんだね」

 掃除の間は相変わらず沈黙だった。
先生は黙ってほうきで床をはき、私は黙って黒板を消した。
しばらくして、先生が沈黙を破った。
「いやー、助かります」
「あんまり助けになってない気がする」
「黒板が大変なんだよ」
「その大変なのをやらされてんだ…いや、
 私からやるって言ったんだけどね」
掃除がほぼ終了し、先生がごみをちりとりでとっている時に、
私は「試験がやばい」と言った。すると先生は
「いや、今までの分が発揮されるよ」
と言ってくれた。
「でも、私は推薦に甘えすぎた」
そう言うと納得されてしまった。
「私、推薦に落ちてよかった」
「なんで?」
私はその理由を明確に答えることができなかったが、
推薦に落ちて得たものの方が多かったのは確かだと思う。
そのことをとっさにうまく言えなくて、
「いや、私は一般を受けるべき」
と答えてしまった。
目線を先生に向けると、
私の言ったことに肯定するかのように先生は笑っていた。
「それにもし受かっていたら、私は今ここにいなかった」
そう…ここにはいなかった。
クリスマスの日、先生とこうして掃除をすることもなかった。

 私が掃除することを嬉しく思っていても、
先生はなんとも思っていないのだろうな…
私はいつも掃除をしながらそんなことを考えていた。
ある日、私が掃除を手伝うと言っていたのに、できないことがあった。
私はそれをすごく気にしていたので、次の日に謝った。
すると先生は「なにが?」と全く気にしていないようだった。
私の中で衝撃が走りながらも「掃除できなかったこと」と力のない声で答えた。
先生はなんとも思っていなかった。
こっちが気にするだけばかみたいと痛感した。
もう掃除なんか手伝わないって思った。
そう思ったのに、また掃除を手伝っている自分がいた。
そういう自分にほとほと呆れていた。

 その日の全ての授業が終わり、塾が閉まる時間が近づいていた。
私はそろそろ帰宅しようと自習室をでた。
職員室の近くを通ろうとすると、先生と目があった。
私は黙って塾をでようとした。
「さよなら」
先生が突然挨拶してきたので、私は驚きつつも普通に挨拶しかえした。
先生はお茶を飲みながら、続けて言った。
「え?何、帰んの?」
挨拶してきたくせにその一言を言った意味が分からなくて、
この人は何を言っているの?と不審に思いながら、
「うん」
と何も考えずに答えた。
「あ、そうですか」といいながら、教室へ行こうと先生が背を向けた瞬間、
「え?何?掃除?」
頭の中に浮かんだと同時に、私は声にだしていた。
「いやいや」
先生がそう答えたので、さっきの一言の意味を確信した。
「いいよ。やるよ」
私は先生の後についていった。
先生は断りつつも私に「黒板、お願いします」と言った。
私が教室に入り、着ていたコートを脱いでいると、
ほうきをとってきた先生が後ろから声をかけてきた。
「今日テストだったからあんま黒板使ってないんだけど」
黒板を見ると、本当に少ししか書いていなかった。
それなら私に頼む必要ないじゃんと思いつつ、
また妙な期待をしてしまった。
掃除が終わる頃、私は先生に話しかけた。
「先生、残りの講習にもくるの?」
「きますよ。高二を教えに」
「じゃあまたその時、掃除を手伝ってあげよう」
先生がお礼を言ったので、私は付け加えた。
「うーん…先生にはいろいろお世話になったからね。
 できることはしておきたい」
「いい心がけですね」
先生は少し嬉しそうに言ったように見えた。
私は先生に本当にお世話になったと思う。
それなのに私は迷惑をかけてばかり。
だから自分にできることをしたいというのは、自然と思うことだった。

 12月31日。先生が企画した補習が13時から始まった。
人は結構集まっていた。その中に私もいた。
テキストはちゃんと完成していた。
英語の総復習ということで、私の思考回路は混乱していた。
分かっていたようで、実はあやふやだった所がぼろぼろでてきた。
最初に休憩をとった時、私はややよろよろしながらトイレに行った。
落ち込みながら教室に戻ろうとすると、先生が煙草を吸っていた。
私の足音で背を向けていた先生が、一瞬反応した。
さすがに今日話しかけるのは悪い気がしたので、
通り過ぎようとしたが、先生から声をかけられた。
かなりドキッとして、私は二、三歩足を戻した。
「問題やるペース速い?」
と聞かれた。
私はべつに速くないと答え、今私の頭が混乱していると言った。
「ちゃんと分かってなかったのかなって、ショックだった」
そう言うと先生は励ましてくれた。

 教室の窓から見える景色は真っ暗だった。
19時を過ぎても補習はまだ続いていた。
皆がややげっそりし始めるのを見て、先生はある事をしだした。
塾講師が会議のしめでやるものだった。
一定のリズムにあわせながら手をたたき、誰か一人の名前を呼ぶ。
一種の応援だった。
それをやり始めた先生を見て、私はひいた。いや、
ひいたのは私だけではなかったと思う。
あの教室にいたほとんどが私と同じ反応だったであろう。
メガホンで黒板をガンガンたたきながら叫ぶ先生の姿は、
普段の先生からは想像できなかった。
ぶっ壊れた…という言葉がふさわしかった。
思わず、目をそむけたくなってしまった。
ひいたというよりむしろ、ショックの方が大きかった。
それがもう一度あって、二度目は落ち着いてそのありえない先生の姿を
自分の中で理解しようとしたが、どうしてもできなかった。
意外な一面を見れて嬉しいという気持ちも少しあった。
でも、リズムにあわせながら手をたたいてる力も、
立っている足先の力も抜けていくのがわかった。

 「受かれよ!」
そう先生が言いながらクラッカーを鳴らして、その後に何人かの生徒が
先生から投げて配られたクラッカーを続けて鳴らした。
こうして補習は幕を閉じた。21時30分頃だった。
私は終わってほっとしたのと同時に、
先生への感謝の気持ちでいっぱいだった。
その日やった授業は無料講座で、
本当に先生の気持ちからやっているものだった。
生徒のこと一生懸命なんだなと思いつつ、
黒板を消している先生の姿を、
帰宅しようとしている生徒たちの波の間から見ていた。
私と友達は先生にお礼を言って帰った。
帰宅途中、先生の意外な一面を見て嫌になったにも関わらず、
私の中では頑張ってくれた先生にものすごく感謝したくなっていた。
気が付くと、寒さに震えた手でお礼のメールをしていた。
受験が終わるまでメールをしないという約束を破って。
数時間後に先生からはお疲れ様のメールがきた。
やっぱりすごく嬉しくなって、さっき嫌だと思った姿は薄れていった。
あんなに嫌だと思ったのに…。
先生は優しい。
私がつらくなってしまうくらい。
先生はちゃんとメールを返してくれる。
正体が私だとわかってて返してくれるの?
私だとわかって接してくれるの?
私は気のない優しさはいらないといった。
それでも接してくれるのは…優しく接してくれるのはどうして?
私が受験前だから傷つけないように配慮してるだけ?
そんな仕事上の優しさはいらない。
そう思ってあなたから離れようとするけど、できない。
あなたのそばにいることが、
私の心を満たしてくれる唯一の方法だから。
どんなに嫌だろうと、どんなにつらいと思っても、
また気持ちはあなたに向いてしまう。



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