18〜eighteen〜
先生は煙草をよく吸う。
塾には先生たちが煙草を吸う場所があって、
先生もそこで煙草を吸っていた。
隣にトイレがあったので、私は偶然を装って、
よく会いに行っていた。
そして授業のことや学校でのことなど、
たわいもない話をしていた。
そんなことを週に1、2度繰り返していたのだが、
勉強が忙しくなり始めたという理由もあって、
メールをし始めた頃からはあまり行かなくなっていた。
そのかわり金曜の授業後、教室に話にいくようになった。
金曜にある先生の最後の授業は、私がいつもいる自習室の隣で行われる。
授業が終わると先生はその教室を掃除し始め、
ほうきで掃除する音が聞こえると、私はその教室に移動した。
夏休みから掃除を手伝ったりしていたので、
その延長として、私が掃除を手伝うことはごく普通のことだった。
半分は感謝のつもりで、もう半分は先生と少しでも一緒にいたかったから…
特に話題もなかったから、滅多に話さなかったけれど、
先生といる沈黙は心地良かった。
なぜだろう?こんなに心があたたかくなる。
私の心の中で、二つの気持ちが反比例していった。
先生と一緒にいる時の幸せだという気持ちが上向きに高まる一方で、
騙してメールしているという罪悪感が下向きに高まった。
いっそメールするのをやめようか…
そう何度も思ったけれど、それはできなかった。
あれは、先生の小説の最終部を読んだ時のことだった。
最終部と一緒に、先生の過去の恋愛話が書かれていた。
先生は、浮気をしないと決めていた。
それは18歳の時の恋愛が原因であった。
先生が付き合っていた三歳年上の女性に浮気されたという。
その時先生はものすごく傷ついて、人間不信むしろ女性不信になってしまったらしい。
『こういう思いは誰にも味わってほしくはないので浮気をしない。』
18歳の誓いは今だに破られていないと話していた。
私はこの話を聞いた時、思わず涙が流れてしまった。
胸がしめつけられて、すごく切なくなって、
そして気力がなくなった。
こんな過去があったなんて…驚きと衝撃が私の中で渦まいていた。
私はなかば、放心状態となってしまった。
そんな状態の私の心の中に、先生とメールするという罪悪感が流れ込んできた。
最終部の感想をその夜のうちにメールしたが、
次の日はメールできなかった。
私がメールしなくても、もしかしたら先生はメールをくれるかもしれない。
いや、そんなまさかありえない。
そんな期待を抱きつつ、
先生からメールがこなければこのままメールのやりとりも自然消滅するだろう。
そんな卑怯な考えをもった自分がいた。
そして次の日。
いつも先生からメールがくる時間になってもメールはこなかった。
やっぱりな…とあきらめのついた私と落胆した私がいた。
しばらくして、私は眠ろうと布団に入った。
その時、携帯のバイブが鳴った。
期待をもちながら、私は携帯を手にとった。
送信されてきたメールは、先生のものだった。
返信が来ていないにもかかわらず、メールしてしまったことの謝罪と、
大丈夫かと心配して励ましてくれていた。
正直、嬉しかった。
先生とメールしているという罪悪感から逃れて、
メールしなかったにも関わらず、
私のことを気遣ってメールしてくれた。
やはり逃げてはいけない…そう思った。
次の日、私はメールしなかったことへの謝罪と、
先生からメールがきたことが嬉しかったことを返信した。
私はこの出来事があってから、ちゃんとメールしようと決めたのだった。
だけどそう決心しつつ、怖くなってメールできなくなったこともあった。
普通にメールのやりとりをする毎日が続いていた、ある日のことだった。
字数制限なしの私のアドレスにメールが送信ができないという、
先生からメールが私の携帯のアドレスに送られてきた。
小説が終わってしまってからも先生のメールは長かったので、
携帯の字数だけでは足りなかった。
だから、字数制限なし用の私のアドレスにメールはきていた。
その日きたメールはいつもより短い文章であったが、
ちゃんとメールをしてくれたということだけで嬉しかった。
メールもきたし、今日はこのへんで終わらして寝ようと机の上のものを
片付け始めた時だった。
また携帯のバイブが鳴った。
先生からのメールはさっききたばかりだから、友達かな?と思ったが、
先生からのメールだった。
え?なんで?と戸惑いながら、メールを読んだ。
今日送信できなかったメールをわざわざ分割して送ってくれたのだ。
初めは嬉しかったが、バイブが何度も鳴るごとに怖くなった。
1分おき間隔でバイブするのだ。
誰からのメールだとわかっていつつも、とてつもない恐怖感を覚えた。
しばらくして、バイブの音がやんだ。
心の中にはまだ、恐怖感が残っていた。
先生のメールをおそるおそる読んだ。
こんな気持ちでメールを読むのは、初めてだった。
怖くて怖くてしょうがなかった。
そんな気持ちが私にまとわりついて離れなかった。
次の日、私はメールをしなかった。
先生からメールはきたけど、嬉しさより恐怖感の方が強かった。
また次の日も私はメールしなかった。
さすがに先生からメールはこなかった。
恐怖から逃れたと解放感にはならなかった。
何かあったのではないか?と、とてつもなく心配になった。
私がメールしなくても、メールしてくれていた先生からメールがこない。
ただ事ではない気がした。
私の気持ちは先生に戻った。
やっぱりメールしていればよかったと、後悔の念にかられた。
二日間もメールしなかったくせに今さらと思ったけれど、メールせずにはいられなかった。
心配で心配で、胸騒ぎがしていた。
二日間も送信しなかったことを謝った。
もしかしたら怒っているのかもしれないと考えていた。
私の気まぐれにはつきあっていられないと思ったのかもとも考えた。
それでも朝メールした。そして不安な気持ちを抱きつつ、学校へ行った。
その日の夜、メールはこなかった。
やっぱり怒っているのかと、気がかりでしょうがなかった。
そして気付いた。
メールがこないだけで、こんなにうろたえている自分がいることを。
こんな状態になってしまうのだったら、ちゃんとメールすればよかった。
自分の愚かさにあきれていた。
メールがこなかったせいで、私の気力はなくなった。
たった二日間メールがこなかっただけでこのありさま…。
メールのやりとりが、私にとってどれほど重要だったのかを痛感した。
次の日の放課後。
私はやや無気力のまま、学校で自習していた。
私が学校で自習しているなんてめずらしいことだった。ましてや、その日は金曜だった。
金曜は塾の授業はなかったが、自習室にこもっていた。
それはもちろん、授業後に先生の掃除を手伝うために。
家では勉強しないから、自習室にこもるというのもあったが、
ほとんど先生に会うために塾に行っていた。
だけど、その日は行かなかった。
先生になんとなく会いたくなかったからだ。
私は時間を気にしつつも、坦々と勉強をしていた。
しばらくして、カバンの中にあった携帯のバイブ音が鳴った気がした。
気のせいかと思いながらも、携帯を見ると確かにメールはきていた。
体調が悪かったので、一昨日、昨日メールできなかったと先生の携帯からのメールだった。
私は2、3度読み返しながら、自分を落ち着かせた。
なんともいえない安堵感から私はほっとした。
気が抜けて、思わず涙がでそうになった。
よかった…先生からメールがきた。
それだけで、今までの不安はすっかり消えてしまった。
でも体調が悪いにもかかわらず、出勤しているとメールにあったので、
心配になってしまった。
やっぱり塾に行こう。
そうきめた途端、私は身支度をすませ、学校を飛び出した。
塾に行って、一刻も早く先生に会わないと安心できない。
一歩一歩歩く度に、不安と緊張は高まり、
夜の闇が一層その気持ちを高まらせた。
どんなに急いでも、なかなか塾には着かなかった。
塾までの道のりがとても長く感じられ、そのことが私をイラつかせた。
塾に着くとちょうど授業と授業の間の休み時間で、
人がごちゃごちゃしていた。
その人ごみをかきわけ、私は塾に一歩足を踏み入れた。
入るとすぐ職員室がある。
いつも先生が座っている席に目をやると、先生がいた。
目があった瞬間、お互いに挨拶をした。
本当ならそこで具合が平気か聞きたかった。
でもそんなことはできないし、とりあえず先生を見たということで良しとした。
私はそのまま自習室へ向かった。
しばらくしないうちにチャイムが鳴り、授業が始まった。
私のいる自習室の隣でも先生の授業が始まった。
すると先生は今日、体調が良くないことを話していた。
私はもう既にその事を知っていたということが、
なぜか変な気持ちにさせた。
先生が授業をしている間、心配でひやひやしていた。
やっとのことで授業が終わり、
生徒たちが帰宅し始め、先生は掃除をし始めた。
私はすぐに自習室を出て、先生のところへ行った。
「掃除、手伝うよ」
先生は少し遠慮していたが、
「だって…具合悪いんでしょ?」
と私が言うと、先生は軽くお礼を言い、
自分が持っていたほうきを私に渡して教室を出て行った。
私が渡されたほうきで床をはいていると、先生がもう一本ほうきを持って戻ってきた。
一緒に掃除をしながら、先生は今の自分の症状について話し始めた。
「みぞおちが痙攣するんだよね」
そんな症状は初めて聞いたので、
何と答えていいのかわからず、微妙な反応をしてしまったが、
思ったより重症ではなさそうなので、安心していた。
帰宅してからメールをした。
具合どうですか?ということと、もう一つ。
メールがこなくてすごく心配したということ。
私がメールしなかった時、こんな気持ちになったのか。
もしそうなら申し訳ないですと謝った。
少し自惚れていたかなとも思ったが、私がメールしなくても、
先生は心配してわざわざメールしてくれた。
先生からメールがこなかった時に私が味わった不安。
私がメールしなかった時、先生も少なからずこういう気持ちを味わったのかもしれない。
だからメールをくれた…そう考えたのだ。
私のその質問に対して、先生の答えは「イエス」だった。
私からのメールがこなかった時、もちろん心配してくれたという。
それからお互い約束をした。
どんなに都合が悪くても、具合が悪くても、携帯に一言メールするようにすると。
私はもう先生にメールをするのをやめようという気持ちにはならなかった。
私は毎日メールし続けた。
先生も毎日メールしてくれた。
先生が仕事で朝帰ることになったり、いつもよりちょっとでも帰りが遅くなってしまう時は、
ちゃんと私の携帯にメールをしてくれた。
そのことが、本当に嬉しかった。