18〜eighteen〜


 私の推薦を明後日にひかえた、ある金曜日のことだった。
いつものように先生と掃除をしながら、推薦の話をしていた。
私が受ける推薦は自己推薦だったので、受かる可能性は低かった。
それでも受かってしまえば、第一志望のところだし、
受験と先生との間にはさまれているというツライ状態から抜けだせると考えていた。
私は少しの可能性にかけていた。
ただ、先生はちゃんと受験を受けてほしいと思う人だから、
やっぱりちゃんと受験するべきかと迷っている自分もいた。
結局、これは逃げなのではないか?
自己推薦を受けるということに、不純な動機がある気がした。

 「頭から血がでたんだよね」
推薦の話題が一段落した時、先生は突然そう言った。
「なんで血がでたの?」
私が少し笑いながら聞くと、
「落ちたものを拾おうとして、机に頭をぶつけた。」
と先生は言った。
私は悪いと思いながらも、思わず大笑いしてしまった。すると、
「ちょっと見てくれない?」
と先生が言った。
私は一瞬、止まってしまった。
頭の中が真っ白で、自分の鼓動が速く、大きくなるのを感じた。
私に有無を言わさず、先生は頭の傷を探しながら近づいてきた。
私は感情を押し殺しながら、その傷があるあたりを見てあげた。
「あー、切れてるねぇ」
震えそうな声を抑えた。
「やっぱり?」とかなんとか言いながら、
先生は手で傷のあたりを気にしていた。
「大丈夫?」とか言える余裕は全くなかった。
その一言を普通に言うだけで必死だった。
先生が私から離れた時、ほっと安心してしまった。
心臓が止まるかと思った。
私が先生に触れたのは、これが最初で最後だった。

 今まで、私は先生を恋愛対象として気になっているのか悩んでいた。
単に大人の男性というだけで憧れているのか。
私が幸せそうに先生の話をしていると、友達はその憧れを否定する。
でも、自分の中で実際には考えられなかった。
この気持ちが恋なのか。
考えても考えても、フリダシに戻るだけだった。
自分が先生に恋しているという事実を認めたくない部分もあった。
気づきたくない自分がいた。

 先生とメールしている時、恋愛話になったことがあった。
私は、今の自分の気持ちが恋なのか相談した。
相手が誰なのかはもちろん言わなかったが、
本人に相談するなんて変な感じだった。
『気になる人のことを知りたいとか、一緒にいろんな話をしたいとか、
いつも会っていたいなんて思うのが恋なんでしょうかね?』
先生に対する、正直な気持ちだった。
もっと知りたいからメールをしたし、いろんな話をしたいから会いに行く。
いつも会っていたいから、私は塾へ行った。
先生から返事がきて、そういうのが恋だと断言された。
私がずっと悩んできた気持ちが恋だと、本人から自覚させられてしまった。
今まで自分の中でもそうなのかと思いつつ、確信できないでいた。
先生からのメールを読んで初めて、やっと自覚した気がする。
この気持ちが恋というものだと…そう思うと何かこみあげてきて、
涙が止まらなかった。
それからは、先生に会うのが恐くなった。
以前からそう感じていたのだが、その傾向が少し強くなった。
先生に会う度に、平静を保っているのが精一杯だった。
先生と話し終わって、教室や自習室に戻るといたたまれなかった。
もうどうしようと頭の中は混乱して、じっとはしていられなかった。
先生に会うだけでこんなにも…。
ずっと会っていたい。
考えるだけで胸がしめつけられた。
先生とのことは、どんなことでも忘れなかった。
何度も何度も、すり切れてしまうくらい頭の中で思い返していた。
どんなささいなことでも…
そう、どんなささいなことでも。

 自己推薦の発表前日。その日は金曜日だった。
授業後に、私と先生はまた教室で話していた。
「明日、発表なんだけど…」
私はため息まじりに言った。
発表の方法を先生に聞かれた。郵送もあったのだが、
私は大学に掲示されているのを、直接見に行くつもりでいた。
「落ちてたら帰ってこれない」
私は俯きながらいった。
「すごい落ち込むか、帰りの電車の中で友達に電話して
 話しまくるかのどっちかだよね」
そう先生が言ったので、
「私は電車の中で、電話しないもん」
と反論した。
「俺は電車の中でも電話がきたら普通に話すけどね」
それは、私の中では許せない行為だったので、思わず
「最低」
と言ってしまった。
お酒を飲んで自分のしたことに責任がもてなくなる人、
煙草を吸う人。特に歩き煙草をする人と、
周囲の迷惑も考えずに公共の場で電話をする人を、
私は最も苦手としている。
というか、正直そういう人たちのことは好きになれない。
先生は最低限のマナーを守る人だと思っていたので、
結構ショックだった。
「歩き煙草もするしね」
私は一言付け加えた。先生はその一言に少し驚いていた。
「するよ。っていうか、なんで知ってんの?」
「前、夏に外で会った時、吸ってて隠したでしょ?」
「え?外で会ったっけ?」
先生がさりげなく返した一言。
私はその後なんでもないフリをして、普通に会話を続けたけど、
本当はものすごいショックだった。
やっぱり、先生にとってはなんでもない出来事だった。
それから先生と会話していた内容は、耳に入ってきたけれど、
頭には入ってこなかった。
とてもささいな偶然だったけれど、
あの夏の出来事は、忘れてほしくなかった…。

 あれは、夏期講習も終わりに近づいた頃だった。
午前中の授業が終わり、私は午後の授業もあったので、
いつものように自習室にこもっていた。
4時頃になって、集中力がきれた。
この前誕生日だった友達に、プレゼントをまだあげてないことを思い出し、
いいかげんに買ってあげようと塾をでた。
授業は7時20分からだから、それまでに塾に戻ってこようと考えつつ、
信号を渡ろうとした瞬間、赤に変わってしまった。
少し損な気分になりながらも、
この先にあるもう一つの信号で向こうに渡ろうと思った。
信号が青になるまで待っていた私の目にとまったものがあった。
車の往来をはさんだ向こう側にいる男性…
思わず見間違いかとよく見てみると、先生だった。
煙草をくわえて、信号が変わるのを待っていた。
先生がこっちに気付いてないのをいいことに、
私はとっさに目をそらして気付かないフリをしていた。
信号が青になるまで、実際はそんなに時間はかからなかったが、
私にとってはものすごく長い時間のように感じられた。
早く信号が変わってと必死に祈っていた。
車の往来する音も、周囲のざわつきも、遠くで聞こえていた。
ただ、私の心臓の音だけが聞こえた。
人の波がゆっくりと動きだして、私ははっとした。
信号が青に変わっていた。
私が視線を前に向けると、先生と目が合った。
煙草はくわえていなかった。
お互い一歩一歩近づき、歩道の真ん中あたりで出会った。
その時、なんて言っていいのかわからず、
「え、なんでいるの」と私は言ってしまった気がする。
先生が「帰るの?」と聞いてきたので、
「ううん。ちょっと買い物」
と私は答え、すれ違った。
塾以外で先生に会ったのは、初めてだった。
後にも先にもこれ一回きりだった。
本当に驚いた出来事だった。
私にとって夏、
あのようなカタチで偶然出会えたことはとても嬉しい出来事だった。
なのに、やっぱり先生にとってはなんでもないことだった。
それを痛いくらいに思い知らされたしまい、
悲しくて悲しくて仕方がなかった。

 そんな気持ちのまま帰宅した。
私はいつものように先生にメールをしようとしたが、
さっきのことが頭にちらついてしょうがなかった。
普通にメールをすればいいのに、それができなかった。
でもまたメールをしなかったら、約束を破ってしまうことになる。
とりあえずメールをしなければ、と自分を奮いたたせた。
なんとか書いたメールは、短いものだった。 
『ちょっとショックなことがあって、メールがうまく書けません。ごめんなさい。』
そんな内容のものだった。
私は先生のメールがくるまで、放心状態だった。
何も考えられなかったし、何もできなかった。
すべての機能が停止していた。
そんな状態でいたら、先生からメールがきた。
先生はメールで励ましてくれたけど、
こんな状態になった原因をつくった本人から何を言われても、
あまり普通には戻れなかった。
そんな状態で、推薦発表の日をむかえた。



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