幻想の調べ


    何もかもに疲れ果てたその日…
   友人に連れてこられたその廃墟ともいえる場所は、
   今の俺にぴったりだったかもしれない。
   君という幻想に出会うために用意された場所だったのかもしれない―――…


    「おい、ココ…なんだ?」
   俺は歩くのを止め、前を行く友人の広雅にそう尋ねた。
   辺りは真っ暗で、物音一つしなかった。
   そのために風の吹く音がやけに大きく聞こえた。
   さらにその風は冷たかったので、夏の夜だというのにひやっと感じる程だった。
   そこには、もう何年も使われていない工場の建物がいくつか立ち並んでいた。
   今にも崩れそうなものが多く、
   瓦礫同士が支えあっているといった方が適切な表現かもしれない。
   人の気配はまるでなかった。
   そういえば、この中に入る前に『立入禁止』の札がフェンスに掲げられていた。
   ずいぶん外の空気にさらされていたようで、文字がやや消えかけていた。
   フェンスは人為的に壊されていたので、少なくとも人の出入りはあるのだろう。
   だがここに来るまで、ヒト一人として見なかった。
   広雅は二、三歩戻り、俺の前に来た。
   「おまえがしょぼくれてっから、オレ様のおすすめの場所に
    つれてきてやったんだよ!」
   やや酔った勢いで言われたため、俺は後ずさりしてしまった。
   その晩は広雅と二人で飲んでいた。
   俺は何もかもがうまくいかず、むしゃくしゃしていた。
   大学へ行くことに嫌気がさしていたし、
   新しく始めたバイトはちょっとしたミスで店長の機嫌を損ね、即クビになった。
   バンド仲間とは曲作り中に意見があわなくなり、
   衝突が絶えなかった。
   去年からつきあっていた彼女とは、口論になり別れた。
   全てがどうでもよかった。
   目標を失い、からっぽになった俺はマンネリ化した日常を送っていた。
   同じ毎日の繰り返し。
   自分が堕落していくのがわかった。
   そんな俺を冷静に見つめている自分がいた。
   ただ見ているだけで、落ちぶれていく自分を止めようともしなかった。
   止めてくれたのは広雅だった。
   いきつけの店に俺を誘い、酒を勧めてくれた。
   俺は酒に溺れ、感情を吐き出した。
   広雅はその一つ一つをきちんと聞いてくれた。
   数時間経ってから、広雅が俺に酒を勧めるのを止めた。
   そしていたずらっぽい目をしていった。
   「いいトコにつれてってやるよ」
   わけがわからない状態の俺を広雅は外へつれだした。
   広雅の後をずっとついていった。
   しだいに人気が少なくなり、町の明かりも遠くなった。
   そうやって周囲が変化するにつれて、徐々に酔いもさめてきた。
   気が付くと廃墟に身を置かれていた。

    「まあ、ついてくりゃわかるって。来いよ」
   そう言って広雅はその廃墟にある一つの建物ともいえない建物の中に入った。
   こんなトコに一体何が…と思いながら、俺もその中に足を踏み入れた。
   中に明かりは何もなく、広々としていた。
   布がかぶさった錆びれた機械と、大きな木箱がいくつか積みあげられていた。
   上を見上げると屋根はほとんどなく、夜空を見ることができた。
   奥へ行くと、地下へ続く階段があった。
   真っ暗で、その闇に吸い込まれそうだった。
   広雅はズボンのポケットからライターを出し、火をつけた。
   その小さな明かりを頼りに、俺たちは階段を下りた。
   一段一段下りるごとに道幅は広くなった。
   始めは頭がぶつかりそうだった天井も高くなっていった。
   二人の足音が反響して、やけに大きな音をたてていた。
   長い長い階段だった。
   背中で嫌な脂汗が流れた。
   俺は不安になって、問いかけた。
   「どこまで下りるんだ?」
   広雅は背を向けたまま答えた。
   「これから行くところは人知れず存在しているところなんだ。
    だからかなり地下にある」
   それは俺の質問に対して、答えになっていない気がした。
   これ以上聞こうかどうか迷っていると、広雅が止まった。
   薄暗い足元を見ると、階段は終わっていた。
   広雅はライターを持っていた右腕をまっすぐに伸ばし、前方を照らした。
   そこには大きな扉があった。
   暗かったのでよくわからなかったが、
   少し変わった彫刻がほどこされているようだった。
   鉄のような素材で、見るからに重そうだった。
   俺がそのドアをじっと見つめていると広雅が二、三歩前に進みでて、
   こちらに振り返りながら言った。
   「さっきも言ったけど、ここは人知れず存在している所なんだ。
    ここのことも、これから見ることも他のやつらに口外してはいけない。
    絶対にだ」
   俺はあせった。
   「そんなにやばい所なのか?」
   「いや、害はない…けどここを話題にするのは俺と二人だけの時にしてくれ」
   広雅はかなり深刻になって言ったので、俺は思わず身構えてしまった。
   「わ、わかった」
   「それからこの先驚くなよ。…っていう方が無理かもな。 
    まるで空想の中にいるような空間がこのドアの向こうに…」
   そう言うと、広雅はゆっくりとドアを開けた。
   鈍い音がした。
   見た目ほどそのドアは重そうではなかったが、
   古びていたために開けにくそうではあった。

    扉の向こうには町の裏通りのような雰囲気で、
   明かりは裸電球が一つつるされているだけであった。
   俺たちを出迎えるように立っていた女性が一人いた。
   黒い着物に白粉が映えていて、その美しさは不気味なくらいだった。
   舞妓というより娼婦といった感じだった。
   奥に案内してくれるために立っているのかと思いきや、
   彼女は身動き一つしなかった。
   ただ立っているだけだった。
   俺たちはその横を通り過ぎた。
   真っすぐ歩くとすぐ行き止まりになり、右側に通路が続いていた。
   左側は壁で、俺が目線を下に向けると一人うずくまっていた。
   具合が悪いのかと声をかけようとしたが、その人の身なりを見て躊躇した。
   髪は緑で、首の周りにオレンジの羽がいっぱいついていた。
   薄暗くてよくわからなかったが、街中で見かけないような服装だった。
   「こっちこいよ」
   うしろで広雅の呼ぶ声が聞こえた。
   俺はその人のことを気にしながらも、その場を離れた。
   広雅の後を追い、右側の通路を歩き出した。
   ここは一体なんなんだ?と悩む俺の頭の中に、ある考えが浮かんだ。
   まさかここは…コスプレ会場?
   今さっき見た二人はどう見ても普通の格好ではなかった。
   自分もあんな服装をさせられるのかと危険を感じた。
   「俺は絶対にコスプレなんかしねぇぞ!」
   「はぁ?」
   俺が突然言ったことに広雅は首をかしげた。
   「んなの俺だってしねぇよ」
   そう言われてここがコスプレ会場ではないとわかったと同時に、
   謎は深まってしまった。
   ここは一体―――…
   そう思った瞬間、目の前が真っ白になった。
   霧のような白い煙と大量の光で、視界が遮られてしまった。
   その中に包まれるかと思ったが、煙はすぐにはれ、
   眩しいくらいの明るさは一瞬だった。
   今まで薄暗い中にいたのに突然明るくなったため、目が慣れなかった。
   まぶたをこすってからゆっくり目を開けると、
   俺と同い年くらいの一人の女性が目にはいってきた。
   抜けるような白い肌に眩しい赤のサンドレスを身につけて、
   肩の辺りで綺麗に切りそろえた髪も赤だった。
   その色は鮮やかで、そこから覗く面立ちはさらに美しく整っている。
   サンドレスや髪の色と同じ色のルージュはより魅力的に唇を彩っていた。
   そしてその唇からは、魅惑的な歌声を発していた。
   頭の芯がぼーっとしていた。
   「不思議なトコだろ?」
   広雅にそう声をかけられ、はっと我に返った。
   「…ココは?」
   俺が聞くと広雅は説明するのに少し困ったかのように前髪をかきあげた。
   「ハメをはずしたいやつらのたまり場ってとこかな…。
    ここにくるだいたいの理由が、彼女の歌声を聞くため」
   広雅は目線を少し離れたステージに向け、赤い女性を見た。
   「彼女は?」
   「ここの歌姫ってとこかな…彼女については一切わからない。
    わかっているのは名前が『YU−KI』ということだけ」
   その説明を横で聞きながら、俺はそのYU−KIという女性を見ていた。
   彼女がいるステージから俺がいる所までは距離があったのに、
   すぐ目の前にいる気がした。
   彼女はこちらを見ながら歌っていた。
   気のせいだったかもしれないが、目があっているようだった。
   俺はYU−KIに見入ってしまった。
   その魅惑的な歌声と、彼女が放つ独特な神秘性に一歩も動けなかった。
   目が離せなかった。
   なんて不思議な所なんだろう…。
   そこにいる人々は思い思いの装いをしていた。
   民族衣装のようなものを着たものもいれば、全身を布一枚で覆っている者。
   パンク、チャイナ、道化服…どんな系統ともわけられないような服装の者もいた。
   中には俺たちのようにシャツにジーパンのやつもいたが、
   一人か二人だった。
   あたりは薄暗らかったが、さっきの裸電球しかない場所よりは明るかった。
   周囲の様子を窺うには十分な明るさだった。
   こんな人知れず存在している地下に集まった人々は、
   酒を飲んだり、踊ったり、何もせずにただ立っていたり、
   その辺に座ったりと様々だった。
   自分たちの好きなようにしていた。
   ただ共通する一つのこと。それは、
   皆YU−KIという一人の女性に酔っているということ。
   俺にとってこの場所の空気は抵抗を感じた…。
   だけど…だけど俺もその一人だった…
   彼女に酔ってしまった一人だった…。



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