幻想の調べ
次の日。俺は一人で地下に出向いた。
広雅に言われたことが真実かどうか確かめに。
不安を抱きつつ、俺はやや重い足どりで昨日案内された奥へと向かった。
一つ目のドアの前にいくと、昨日と同じ男性が番をしていた。
今日は中国服だった。
厳しい目つきで俺を上から下へと見てから、首元をじっと見た。
YU−KIにからもらったペンダントをさげていたからだろう。
何か言った方が良いのかと喉の奥から声をだそうとすると、
その男は鍵を取り出し、ドアを開けた。
「中に入れ」という目をしていた。
俺は何も言わずに一歩一歩暗闇へと歩きだした。
ドアが閉まり、中は本当に真っ暗になってしまった。
辺りはしんとしていて、俺の心臓の音がやけに大きく響いてきた。
俺はあせりながら、何かないかと両腕を横にのばした。
すると、右手の指先に冷たい壁が触れた。
その壁をつたいながら、俺はゆっくりと歩きだした。
緊張しながら一人で歩いていたせいか、昨日よりやけに長く感じた。
YU−KIの部屋とは違う方向へ向かっているんじゃないかと心配になったが、
先に明かりが見えた。
その瞬間、俺の中で少し気持ちが軽くなったのがわかった。
はやる気持ちを抑えながら俺は急いだ。
その明かりは、YU−KIの部屋のドア横にあるたいまつだった。
俺はドアの前に立ちつくした。
やっと着いたという安堵感とは別に、不安がこみ上げてきた。
彼女に会って何を話そうとか、
どうしようとか何も考えずにここまでまで来てしまった。
俺は一体どうするんだ?
打開策もないまま、鼓動の速さが増すばかりだった。
だが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。
意を決して俺はズボンのポケットから鍵をだし、それを鍵穴に差し込んだ。
右に回すと、カチャという音がした。
ドアノブを握り、ゆっくりとドアを開けた。
思ったより重いドアだった。
中には、昨日案内してくれた女性とYU−KIがいた。
「あら、もういらしてくれたんですか?」
女性は俺に笑顔を向けて言った。
今日は青い、深くスリットの入ったチャイナ服を着ていた。
俺はまごつきながらその女性に聞いた。
「あの…俺はここに来て良かったんでしょうか?」
彼女は即答した。
「ええ、もちろん。そのために私は昨日、あなたをここに…
YU−KI様のもとにおつれしたんですもの」
それを聞いて俺はやっと安心できた。
「こちらへどうぞ。今、お茶にするところだったんです」
そう言って彼女は、YU−KIの座っている向かい側のソファーに俺を導いた。
俺は素直に従い、ソファーに座った。
YU−KIと俺の目の前にあるテーブルには、
クッキーやチョコといったお菓子が用意されていた。
女性はグラスにお茶を注ぎ、俺とYU−KIにさしだした。
俺は軽くお礼を言った。
「では、私はこれで」
彼女は自分の仕事が終わると部屋をでた。
また二人きりにされて、俺は困ってしまった。
目の前にいるYU−KIは平然とお茶を飲んでいた。
俺もグラスを手に取り、お茶を一口飲んだ。
グラスを静かに置き、それからYU−KIを見た。
YU−KIも俺を見ていた。
視点が定まっていないような、冷たい目で。
俺は何を言えばいいのか分からず、とりあえず自己紹介を軽くした。
「俺、克也っていいます。今、大学二年です。
ここには友達の誘いで来て、今日で三回目なんです」
YU−KIは何も言わなかった。
ただじっと座って、俺を見ているだけだった。
俺はどうしていいのか分からないまま、話題を探した。
「君はYU−KIというらしいね。とても歌が上手いんだね」
そしてまた沈黙。
YU−KIはまるで人形のようで、生きているのかさえ分からなかった。
しばらく座っていたが、空気が重すぎてその場にいづらくなってしまった。
俺は思い切って立ち上がって言った。
「今日はこれで失礼するよ。突然来てごめんね。
まだ向こうにいるから、もしよかったらまたステージに立って歌声を聴かせて」
YU−KIは眉さえ動かさなかった。
俺が部屋を出ようとしても何も言わず、真っ直ぐ向いて座っていた。
グラスの中の氷がカランと音をたてた。
俺はカウンターで肘をつきながら、ぼーっとしていた。
YU−KIという女性はわからないことだらけだった。
なぜあんなに黙っていたんだ…それに対して俺はどう接していいのか。
だいたい、あの部屋への出入りを許して、一体俺に何を求めているんだ?
考えても考えても、何一つ分かることはなかった。
俺が大きなため息をつくと今まで流れていたBGMがふっと止まり、
違う曲が流れ始めた。
周囲のざわつきが少し静かになった。
まさかと思い、後ろを振り返りステージを見ると、
そこにはYU−KIが立っていた。
彼女が歌い始めた。
静かに、そして激しく燃える炎のような歌声は、頭の奥まで響いていた。
ステージ上で見る彼女はさっきと違っていた。
神秘的でクールな感じに変わりはないのだが、
どことなく生き生きした感じがした。
部屋にいた時は、魂が抜けたようだった。
きっと彼女は歌うことが好きなのだろう。
言葉で伝えるより、歌うことで自分を伝える方が
彼女にとって最良の手段なのだろう。
そんなことを考えながら体の向きを戻し、酒を一口飲んだ時だった。
「隣、よろしいですか?」
という女性の声がした。
俺は声の主の顔も見ずに「どうぞ」と、小さな声で言った。
彼女はバーテンに何か飲み物を頼み、俺の隣の椅子に座った。
「ここが存在して3年くらい経ちますけど、あなたみたいな人は初めてだわ」
何を言われているのか分からなくて、俺は無視していた。
「YU−KI様が干渉されることを許すなんて…」
そう言われて、俺は初めてその女性を見た。
その女性は青いチャイナを着た、
俺をYU−KIの部屋まで案内してくれた女性だった。
彼女はバーテンが持ってきた酒の入ったグラスを受け取り、
くいっと飲んだ。
「YU−KI様から鍵をもらえば干渉されることを許される…
という決まりはずっとあったけど、
私たち以外に許される者なんて今までいなかったわ。
だから、あなたを呼んできてほしいとYU−KI様から言われた時は、
正直驚いたわ」
彼女は、グラスのふちをなぞりながら話していた。
「YU−KI様が関心を持った人なんてどんな人だろうって、
会うまで私、ワクワクしてたわ」
「で?俺に会ってどうだった?」
「そうねぇ、この人ならYU−KI様を導いてくれるかもって思った。
私の直感って結構当たるのよ」
彼女はいたずらっぽい目で俺を見た。
しかしふっと表情を落とし、横顔を向けた。
「でも…もしYU−KI様に接することが、
あなたにとって負担になってしまうのなら期待はしない。
無理に関わってもYU−KI様はそういうところにとても敏感だから…
余計に閉じこもってしまう可能性もでてくるわ。
正直、これからどうしようって困ってるでしょ?」
確かに、俺は困っていた。
あの沈黙に耐えられる自信はなかった。
俺がYU−KIの側にいる意味さえ分からない。
「そうだな…べつに俺じゃなくてもいい気がする。
もとから干渉を許されている君たちの方が…」
「私たちは干渉を許されているけど、そんな全部じゃないの。
まだ線をひかれてる部分があるわ。
ここにいる他の人たちより、ちょっと近いってだけ」
女は少し寂しげな表情で言った。
「そっか…」
俺は酒を飲んだ。
「YU−KI様はね、始めのうちはここにくる回数は少なかったの。
ステージに立つのも月に一度か二度だった。
でも、日が経つにつれてここに来ることが多くなった。
そして目に力が無くなっていった。
この地下が逃げ場になってしまったのよね」
彼女はため息をついて、うなだれた。
「微妙な変化に気づいていながら、私は止められなかった。
あっという間だったの…」
俺はなんて言っていいのか分からなかった。
頭の隅で、YU−KIという女性はひきこもりなのか?
と、考えていた。
彼女に惹かれて、こうやって集まる人々がいる。
きっと、彼女には不思議な魅力があるのだろう。
「あなたにYU−KI様の手助けをしようという気持ちがあるのならお願いするわ。
YU−KI様が鍵を渡すなんてよっぽどのことだもの。
たぶん、あなたのことを必要としているんだと思う」
彼女は真剣な眼差しで俺を見た。
それから、力のない笑いで付け加えた。
「もちろん無理にとは言わないわ。
あなたがYU−KI様の側にいるというのなら、それは自分の意思で来て。
今の私の話を聞いたからとかそんなの抜きで」
「わかった。そうするよ」
彼女は椅子から降り、立ち上がった。
そして、ステージにいるYU−KIを見て言った。
「そろそろ歌が終わるわ。戻らなくちゃ」
行こうとする彼女を、俺は呼び止めた。
「君の名前を聞いてもいいかな?」
彼女は振り返り、答えた。
「カンナよ。あなたは?」
「克也。…もう一つ聞いてもいい?」
「なにかしら?」
「YU−KIの部屋まで行くのにあんなに真っ暗で、
なぜ普通に辿り着けるの?」
カンナは、にやっとした。
「何度あそこを通っているか…
始めは壁をつたっていかなきゃ辿り着けなかったけど、もう慣れたわ」
「へぇ…?」
「あなたも慣れるといいわね」
「そうだな」
俺は苦笑した。