幻想の調べ
二週間が経った。
あれから地下に一度も行かなかった。
何度か行こうと思ったが、YU−KIのことを考えると思いとどまってしまった。
やっぱり、彼女に近づくことを考えると気持ちが重くなった。
俺に何ができる?どうすればいい?
俺が中庭のベンチに座って悩んでいると、隣に広雅が座ってきた。
「お前、この前から物思いにふけって…何考えてんだよ?
あ。今日、あそこにでも行くか?」
「いや…今日はやめておく」
「…YU−KIか?」
そう言われて、俺はドキッとした。
その反応を見て、広雅はやっぱりな…という顔をした。
「彼女に会ったのか?」
「…ああ」
「そうか」
しばらくの沈黙。
周囲は中庭を行きかう学生でざわついていた。
俺はゆっくりとした口調で話し始めた。
「YU−KIの部屋に行ったはいいんだけどさ、彼女は一言も喋らないで、
俺はどうすればいいのか分からなかった。
あの場にいる意味さえ分からなかった。
カンナから『YU−KI様の側にいるというのなら、それは自分の意思で』
と言われて、俺にその気持ちがあるのか考えてた。
生半可な気持ちで近づくことは、彼女を傷つけることだと思うから…」
それを聞いて、広雅はため息をついた。
「そうやって考えてる時点で、YU−KIのこと考えてるって証拠じゃね?」
俺は広雅を見た。
「自分のこと考えてくれるやつだって見抜いたから、
彼女はお前を必要としたんじゃないの?
YU−KIにとって、お前は必要なんだよ。
何をしてほしいとかそんなんじゃなくて、ただ側にいてほしいんじゃん?」
そうなのだろうか…?
どっちにしても、このまま彼女を放っておける訳がなかった。
日常生活に身を置いても、俺の中から彼女が消えることはおそらくないだろう。
「お前、ギターできたよな?」
「ああ。いちおうそれでバンドもやってるし」
「言葉が駄目なら音楽があるじゃん?」
考えもしなかった。
この前、彼女は言葉より歌う方が自分を伝えやすいのだろう
と、思ったばかりだったのに…。
俺は立ち上がった。
「広雅、恩に着るぜ」
「今度、おごれよ」
「ああ」という笑顔を見せ、俺はその場を離れた。
広雅について、少し語ろうと思う。
彼は『橘 広雅』といって、俺が大学で出会った中で一番の友人である。
お互い同じ学科で話したことはなかったが、
同じ講義をとっていることが多かったので面識はあった。
彼は他の学生たちとは違っていた。
遊んだり、目の前の楽しさを追い求めている学生たちに惑わされることなく、
あくまで自分のペースを守っていた。
だが、講義を前列で受ける広雅はいつも一人だった。
友人と騒いでいる俺はそんな広雅を見て、惨めな気持ちになった。
毎日大学にきて、俺は何をやっているんだ?
そんな俺は広雅に妬ましさを感じつつ、一種の憧れを感じていた。
周囲の人間に…いや、自分自身にうんざりし始めた俺は広雅に興味をもった。
そしてある日、声をかけた。
「隣、あいてる?」
いくらか怪訝そうな表情で、広雅がこちらを見た。
「ああ」
「一つ、いいかな?」
「なに?」
「君を知りたいと思うんだけど、どうやったらいいかな?」
広雅は目を丸くして俺を見つめてから、口元をほころばせた。
「じゃあ、まず友達になろう」
それから付き合いが始まった。
頭の回転が速く、口数の少ない広雅であったが、
自分の思ったことははっきり言う。
自分らしさを持っている彼を見て、俺もそうなりたいと思った。
俺は広雅からいろいろな影響を受けた。
俺たちは一緒にいる度にどんどん仲良くなった。
大学の空気にうまく馴染めなかった二人は、二人でいることによって、
一人の人間として存在できたのだ。
こうして、俺たちの関係は今にいたる。
「ちゃんと俺の意思でここに来たよ」
俺はギターを持って、YU−KIの部屋のドアの前まで来た。
たまたまカンナが部屋からでてきたところだった。
カンナは目を丸くして、立ちつくしていた。
「俺はYU−KIを導いてやれるか分からない。
でも、彼女が必要としてくれているのなら、その手助けになりたい」
暗闇の中、明かりは2つのたいまつしかなかったので、
カンナの表情はよく分からなかったが、安心した顔をしているようだった。
「もう、来ないかと思ったわ。
あなたにはとても大きなものを背負わせてしまった気がして…
でも、良かった…来てくれて」
「YU−KIに会うことは不安だけど、負担には感じてないよ。
自分でここに来たんだから」
「ありがとう…なんだかお礼を言うのも変だけど」
「いや。じゃあ行くよ」
俺はドアノブを握った。
「この暗闇に慣れるといいわね」
「ああ…そうだな」
中に入ると、YU−KIはデッキチェア型の椅子に身を任せていた。
「こんばんは」
俺は挨拶をしながらドアを閉めた。
YU−KIはこちらを向かなかった。
俺は、ふぅ…と一息ついてからソファーに座り、持ってきたギターを出した。
「俺、実はギターを弾けるんだ。
いちおうバンドを組んでて、小さなライブハウスでたまに歌ったりしてる」
俺は音をあわせながら話し続けた。
「君が歌うのは聴いたことない曲ばかりだけど、自作?」
YU−KIは何も答えなかった。
仕方なく、俺はギターを弾き始めた。
俺が作った中で最も好きな曲で、ライブでもたまに歌っていた。
しばらく弾いていると、YU−KIがハミングし始めた。
俺は驚いたが、ギターを弾く指を止めなかった。
YU−KIは座って、こちらに背を向けたままハミングし始めた。
初めて聴いたハズなのに、正確なハミングだった。
俺がギターを弾き、YU−KIが歌う。
その空間がなんだか新鮮で、
でも前から知っているような懐かしさも感じて、気持ちがよかった。
こんなに気持ちよくギターを弾けたのは久しぶりだった。
俺が最後にギターを手にしたのは、
バンドのメンバーと衝突が激しかったときだった。
俺は夢心地の中にいながらギターを弾き続け、曲を最後まで弾き終えた。
すると突然空気が変わり、沈黙になってしまった。
俺は、とりあえず何か言おうと乾いた口で言葉を発した。
「ハミング…うまいね」
そんなことしか言えないのか?
もっと気の利いた事を言えないのかと、自分を責めた。
頭の思考回路が入り乱れた中で、俺は耳を疑った。
「私が歌う曲は、全て自作…」
そう、YU−KIが初めて俺に話しかけたからだ。
「あ…そうなんだ。…すごいね」
俺は静かに答えた。
内心驚いて、どう反応していいのか分からなかった。
「…もう来ないかと思った」
YU−KIは背を向けたまま、ぽつりと言った。
俺はソファーに座ったまま尋ねた。
「どうしてそう思ったの?」
YU−KIは、しばらく黙っていた。
「だって…ここに来るの、嫌になったと思ったから」
優しい口調で言うように努めながら、俺は彼女の言葉に答えた。
「確かに、君は黙り続けているから、俺はどうすればいいのか正直困ったよ。
でも…さっき俺がギターを弾いて、君が歌っただろ?
その時、すごく気持ちがよかったんだ。
よかったらまた、一緒に合わせない?」
YU−KIはしばらく動かなかったが、
ゆっくりこちらを振り向いた。
いつもの人形のような表情ではなく、
人間の温かさを感じさせるような微笑だった。
「喜んで」
彼女は、俺の提案に心よく応じてくれた。
俺は、音楽を通して少しずつ、少しずつ
彼女の心が開いていってくれることを願うことにした。