幻想の調べ


    こうして、俺は毎日YU−KIの部屋に通った。
   一緒に歌ったり、お互い自作の曲を聴かせあったり…。
   そうしていくうちに、自然とYU−KIの口数が増えていった。
   わずかながらも表情に変化が見えてくるようになった。
   最初にあった不安や緊張は、俺の中から薄れていった。
   「幸せいっぱいだなぁ…」
   「え?」
   地下のカウンターで飲んでいると、広雅は呆れながら言った。
   「このへんがニヤけてんだよ!」
   俺の頬をつまんで、ぐいぐいひっぱった。
   「や、やめろよ」
   俺はその手を払った。
   「でもまぁ、すごいよな。
    あのYU−KIと対等につきあえるようになったんだから…
    これからも頑張れよ」
   広雅は、自分のグラスを俺のグラスにあてた。
   俺はにっこりと笑った。
   「ただ、一つ気をつけろよ?」
   いきなり広雅の顔が強張ったので、俺は身構えてしまった。
   「なんだよ?」
   広雅は酒を飲んだ。そして、
   「YU−KIに血を吸われるな」
   と言った。
   「はぁ?」
   開いた口がふさがらなかった。
   「実は、あるウワサがあって…
    もしかしたら彼女は、吸血鬼なんじゃないか?って。
    見ただけで、こっちが凍ってしまいそうなあの冷たい表情。
    彼女だけの独特な雰囲気。
    本当はただの人間じゃないかも…ってこの地下ではささやかれている」
   広雅が真剣に言うのを見ながら、俺はきょとんとしてしまった。
   そして次の瞬間、腹を抱えて大笑いした。
   「彼女が吸血鬼?デマもいいところじゃないか。
    彼女は普通の人間だよ。
    あ。それに俺は彼女から十字架のペンダントをもらったんだぜ?
    吸血鬼って十字架、駄目だろ?ありえねぇって」
   「…だといいんだけど」
   広雅はため息をついた。
   「じゃあ、俺はいくよ」
   俺は椅子から下りて、YU−KIの部屋へいこうとすると、
   広雅に呼び止められた。
   「貧血になったら、俺が輸血してやるよ。」
   俺は肩の力を抜いて答えた。
   「じゃあ、そん時はヨロシク」
   広雅に背を向け、手を振りながらその場を去った。

    「な、何?」
   俺の視線に耐えかねて、彼女は不信そうに尋ねた。
   俺はソファーに座り、さっきの話を考えながら彼女を見ていた。
   「いや、なんでもないよ」
   俺は視線をそらし、足を組み直しながら言った。
   「ウソ。何か言いたそうな顔をしてる」
   YU−KIはそう言いながらグラスにお酒をつぎ、
   俺に渡してから隣に座ってきた。
   その酒を飲みながら、俺は「なんでもないよ」とつぶやいた。
   YU−KIはやや不満げに俺を見てから、
   自分の頭を俺の肩によりかけてきた。
   たまに彼女は、俺にもたれてきたりする。
   俺は何も言わず、支えになった。
   彼女の静かな息づかい。
   俺の頬にかかる、サラサラな彼女の赤い髪…。
   その全てが愛しくなった。
   幸せな…あたたかな時間…
   こんなにも心が満たされて、
   彼女の側にいると自分が自分でいれる気がした。
   ありのままの俺でいられる…そんな安心感があった。
   「なんでココにいるの?」
   俺は何も考えずに、思わず口にしてしまったことを後悔した。
   ビクビクしながら、YU−KIの反応を窺っていた。
   彼女はピクリとも動かないで、俺にもたれたままだった。
   やはり、今の質問は避けるべきだったか…
   でもいつか、この疑問を問いただす時がくるだろう。
   それが少し早まっただけだ。
   「私は…弱いから」
   YU−KIがぽつりと言った。
   「…弱い?」
   俺は首を傾げた。
   「皆、私のことを嫌ってんじゃないか?って思うの。
    自分以外は信じられなくなって…そしたら今度は自分を信じられなくなった。
    色んな事を考えたり、気にしたりするのがだんだん負担になっていって、
    精神的にまいっちゃったの。
    始めは、ここに来るより外にいる方が多かったの。
    でも今は逆。
    ここにいる方がラクだから、逃げてきたの。
    このままじゃいけないって分かってるんだけど、
    どうしよもできないの。
    そんな自分を見て…弱いなって」
   そう話しながら彼女の足が震えているのが、
   サンドレスの上からでもよくわかった。
   うつむいたままだったから、表情はわからなかったけど…
   多分、あまりいい顔はしていないだろう。
   きっと何かつらい経験を味わったのだと思う。
   もうこのまま、ここで人生を終わらしてもいいと思うくらいの。
   誰でもそう思う瞬間がきっと何度かある。
   でもそこでくじけずに、その苦しみを乗り越えなければならない。
   人はそうやって成長して、強くなっていく。
   彼女にもそうあってほしい…新しい道を見つめてほしい…。
   そう願いながら俺は彼女を優しく抱きしめた。
   彼女は嫌がらずに、俺の腕の中にいた。
 
      次の日。俺は大学の講義が終わってから、
   中庭のベンチでぼーっとしていた。
   昨夜、彼女は俺の腕の中にいた。
   今にも壊れてしまいそうなガラスのようだった。
   彼女の心の闇はいつ晴れるのだろう…。
   そのために俺はどう手助けしてやれる?
   「よっ克也!」
   後ろを振り向くとそこには理奈がいた。
   理奈は俺が組んでるバンドのメンバーの一人で、
   ボーカルを担当していた。
   活発な女性で、パーマのかかった茶色の短い髪がよく似合っていた。
   「なぁに?その顔…不景気な顔しちゃってさぁ」
   彼女は俺の背中をばしばし叩いた。
   「あ。じゃあいいもんあげる」
   そう言いながら理奈は俺の隣に座り、
   自分のかばんの中をあさり始めた。
   「はい。クッキー焼いてきたの。食べて」
   俺はそれを受け取るのをためらった。
   「理奈…」
   「何?遠慮しなくていいのよ?」
   「そうじゃなくて…食えんの?」
   「なっ…!?」
   理奈は眉をつりあげて怒った。
   たちの悪い冗談を言われた人間の普通の反応であろう。
   ただ彼女の場合冗談ではすまされない、重大な問題なのだ。
   「それは失礼なんじゃないのぉ?」
   「だって、おまえには前科があるだろ?」
   理奈はぐっと黙ってしまった。
   そう。理奈には過去に何度も前科があった。
   ライブの打ち上げにと持ってくるお菓子はいつも奇妙な味がした。
   どうやったらこんな味になるんだ?!というのが、少なくなかった。
   理奈が味見をせずに持ってくるので、俺たちは毎回実験台だった。
   一口食べたらどうなるか皆わかっていたが、食べざるをえなかった。
   食べなければ、理奈が怒るからだ。
   ある意味、バンド内で一番恐ろしかったのは彼女だった。
   「おまえ、たまには自分で味見しろよ」
   俺がため息まじりにそう言うと、彼女はしばらく考えてから
   「わ、わかったわよ」
   と言って、クッキーの入った包みを開けた。
   中のクッキーたちの見た目は悪くなかった。
   いい色に焼けている。
   俺たちはその見た目にいつも騙される。
   理奈はクッキーを一枚手にして、口へ運んだ。
   彼女はゆっくり味わいながら食べた。
   「どう?」
   俺が聞いても、彼女は黙って食べ続けた。
   ようやく飲みこみ、しばらくしてからこちらを向いた。
   「…うまい」
   予想外の言葉に、俺は一瞬その言葉の意味を忘れてしまった。
   「おいしいんだってば」
   彼女の二度目の言葉でやっと理解できた。
   俺は騙されているのかと思いつつ、
   吸い寄せられるようにクッキーに手を伸ばし、口へいれた。
   強張った顔から力が抜けていくのがわかった。
   そのクッキーの味は、理奈が作ったものとは思えないくらいうまかった。
   「うわ、うまい」
   「でしょ?でしょ?」
   「ああ。…買ってきたんじゃねーの?」
   「ちがいますー」
   理奈はぷいとそっぽを向いた。
   「悪い悪い。ありがたくいただきます」
   俺は理奈の手からクッキーの包みを受け取った。
   その包みを鞄の中にしまっていると、理奈がためらいながら言った。
   「あの…さ、克也。バンドの練習にでてきてほしいんだ」
   その言葉を言うために、理奈が俺のところにきたのだろう
   となんとなく気付いていた。
   「みんな感情的になりすぎたって、反省してまた練習し始めてるの。
    だから克也にもでてきてほしいの」
   バンドのことは気にかけていたが、
   最近はYU−KIのことで頭がいっぱいだった。
   たぶん、今バンドに戻ったとしてもまた衝突するだけだろう。
   「無理にとは言わないわ。
    でも、克也はメンバーの一人だから…」
   「うん。ありがとう」
   俺がバンドに戻るように促しながらも、
   俺が嫌な気分にならないように、理奈は必死に言葉を選んでいた。
   しどろもどろになりながら、一生懸命に話す理奈を俺はなだめた。
   「バンドには戻るよ。でも、それは今じゃないんだ。
    俺自身、もう少し時間が欲しいんだ。
    みんなにはそう伝えといてくれるか?」
   理奈はその答えにやや不満そうだったが、
   俺の気持ちを察してくれた。
   「うん…わかった。みんなにはそう伝えておく。
    だから絶対、絶対に戻ってきてね」
   「ああ。…じゃあ、クッキーありがとな」
   そう言って、俺は理奈と別れた。
   べつに今すぐバンド仲間のもとへ戻ってもよかった。
   おそらく、今日は練習があるのだろう。
   理奈は練習前に俺と話し、
   そのままつれていこうと考えていたのだと思う。
   それでもよかった。むしろその方が戻りやすいに決まってる。
   ただ、それでは俺の意志で戻ったことにはならない。
   俺は俺の足で戻りたかった。
   そのためにはもう少し時間が必要だった。



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