if…
もし、想いとか、絆とか、奇跡とか、永遠とか…
そういったものが本当にあるとするなら…あると信じているのであれば…
人の心にある、たった一つの想い。
私は信じてる。信じ続けていれば叶う願いがあると…。
私はとても充実した大学生活を終え、社会人となった。
大学の先輩のツテで紹介してもらった、心理カウンセラーの会社に就職した。
幼児から老人までの、幅広い年齢層を対象にカウンセリングする。
時には相手の自宅に出向き、カウンセリングを行う場合もある。
そんなに大きな組織ではないが、職場の雰囲気が良かったし、
私一人が生活していくには給料もよかった。
なにより、私が望んでいた職業につくことができたので、とても満足していた。
最初は、カウンセラーの先輩について勉強してきたわけだが、
最近では私一人に仕事を任されるようになり、
一人前のカウンセラーとして芽もではじめていた。
仕事面だけでなく、恋愛の方も順調であった。
私は今、同じ職場の先輩『フジサキ ヨウ』と付き合っている。
一つ年上で、背が高く、気配りが行き届いた誠実な人だ。
仕事には厳しい一面もあるが、二人でいる時はとても優しく、
一緒にいると落ちつける。
私の汚れそうな心を、綺麗に洗い流してくれるような人だった。
私がこの職場にきて、一年経つか経たないうちに交際を申し込まれた。
私も彼に恋愛感情を抱き始めていたし、断る理由もなかったので、
その申し出を快く承諾した。
それから付き合いだして、もう三年になる。
彼は27歳で、私は26歳。
そろそろ落ちつこうかとお互いに意識しだしている。
でも、私にはその覚悟ができないでいた。
たまに彼は結婚を匂わす会話をする。
しかし、決まって私は話題をそらそうとする。
彼には悪いと思ってる。
そうわかっていても、気づくといつもそらしている。
彼は何も言わない。
私にその覚悟がないのを見抜いているから…。
いい加減しびれをきらして、いつ怒られてもおかしくない。
それでも彼は黙って私のそばにいる。
そんな彼の優しさに私は甘えすぎている。
どうして…?どうして私は彼を受け入れることができないのだろう。
私がカウンセリングを受け持っているうちの一人に、
『カワナカ サキ』という少女がいる。
小学一年生で、黒髪を二つに結わいている小柄な子だった。
サキちゃんは突然登校拒否になり、何も言わず、誰とも口をきかず、部屋に閉じこもっている。
たまに気持ちが安定しているときは部屋の外にでて、家族と口をきいたりする。
しかし、数日経つとまた部屋に閉じこもってしまう。
それの繰り返しだった。
両親は困り果てて、サキちゃんをカウンセリングさせることにした。
あまり刺激しないように少女を説得し、私のいるカウンセリング所につれてきた。
私が担当することとなり、少女と母親を奥の部屋へ案内した。
カウンセリングを行う部屋には、ソファーとテーブルと、
ちょっとしたおもちゃが置いてある。
「こちらへどうぞ」
私は二人をソファーに座らせ、飲み物とお菓子を差し出した。
「おかわりは用意してあるので、遠慮せずにめしあがってくださいね」
そう言ってから、私はソファーに座った。
「こんにちわ。はじめまして、私は『カタヤマ ナツキ』です。
あなたのお名前を聞かせてもらえるかな?」
私は警戒されないよう、笑顔で話しかけた。
コの字型になっているソファーの角に座っている斜め前の少女は、
はじめ下をむいて黙っていた。
その隣に座っていた母親は不安げな顔つきで、少女と私を見ていた。
「……」
「うーん…教えてもらえないかな?
教えてもらえないとお名前を呼んで話しかけることができなくて、
おねえちゃんこまっちゃうんだけどなぁ」
「…カワナカ サキです」
小さな少女は小さな声で答えた。
名前なんて、書類でとっくにわかっている。
しかし、お互いの名前を教えあうところから人とのコミュニケーションは始まる。
私はいかにも今知ったかのように、わざとらしくなくいった。
「サキちゃんっていうの。いいお名前ね。
ではサキちゃん、お菓子でもどうですか?」
私はお菓子がいろいろ盛られているお皿をさしだした。
チョコやクッキーやお団子などがあり、
サキちゃんはそのおいしそうなお菓子たちを見つめた。
「このクッキーはね、おねえちゃんが焼いたの。
たぶんおいしいと思うんだけど…お一ついかがですか?」
サキちゃんはその時初めて私の顔を見た。
「ホントにおねえちゃんがつくったの?」
「うん。そうだよ」
彼女は少し迷ってからクッキーの一つを手にし、それを口へと運んだ。
やや歯ごたえの良い音が部屋に響いた。
「どう…かな?」
私はサキちゃんの顔を覗き込んだ。
「おいしい…」
サキちゃんはぽつりと答えた。
そんな初めてのやりとりから三ヶ月が経った。
私は今でもサキちゃんのカウンセリングをしている。
彼女もだんだんとゆっくりではあったが、心を開いてくれるようになった。
笑うことも多くなったし、日常のことを話してくれるようになった。
それでも学校には行かず、家の中に閉じこもったままだった。
私はサキちゃんが学校へ行ってくれるよう、懸命にカウンセリングをおこなった。
週に2、3度カウンセリングをし、
そのうち一回は私がサキちゃんの家に訪問することになっていた。
サキちゃんの母親はいつも申し訳なさそうにするが、
私には全然負担ではなかった。
むしろ、サキちゃんに会うことが私の一種の楽しみになっていた。
「ナツキおねえちゃん」と言ってなついてくる彼女が、
いとおしくてたまらなかった。
そんなある日のことだった。
いつものように私の勤め先でのカウンセリングが終わり、
サキちゃんと母親が部屋をでようとしたとき、
母親が「少しよろしいでしょうか?」と、耳打ちしてきた。
私は「いいですよ。どうかされました?」と静かに答えた。
母親は少し前を歩いていたサキちゃんに、
サキにロビーにいって靴を履いているようにといった。
少女はなんの疑問ももたず、それに従った。
サキちゃんの後ろ姿が廊下の先へと消えていってから、
私たちは今までカウンセリングをしていた部屋のドア前で立ち話を始めた。
「実は…少し、困ったことが…」
母親は手のひらを頬にあて、困惑した顔つきをしていた。
「サキちゃんになにか…?」
「…こちらにきて三ヶ月、あの子の状態は以前に比べ良くはなってきているんです。
部屋にひきこもる時間も減ってきたし、外に出るようにもなりました。
ですが…」
母親は言葉をつまらせてしまった。
私は母親が次の言葉を発するまで黙っていた。
しばらくして母親は間をおいてから話を続けた。
「ですが最近…夜中に突然起きて、家の中を歩き回っているんです」
私は思わず言葉を失ってしまった。
言われていることがすんなり頭の中に入ってはこなかった。
「この前の夜中に物音がしたんで、なにかと思って音のする方へ行ったんです。
そしたらサキがいて…なにをしているのかわからないのですが…。
それでサキに声をかけながら近寄ると、あの子の全身が泥だらけで…
私…びっくりしちゃって…」
母親の目にうっすらと涙がうかんでいた。
「あの子は私たちとは一緒に眠らずに自分の部屋で眠ってしまうし、
家の中を歩きまわる時間は不特定ですし…それに、毎日ではないようなんです。
私も毎日、一晩中起きていられなくて…。
あの子が夜中に一体何をやっているのか全然見当もつかなくて…
翌朝、本人に聞いても覚えてないっていうんです」
ここ数日の間にそんなことが起こっているなんて…想像もしていなかった。
サキちゃんはこの三ヶ月の間に、順調に回復している兆しがみえていたのに…。
私はショックを隠せなかった。
「…一種の夢遊病ですね。
この場合、夜中起きることを無理に妨げてしまうと精神的に負担をかけてしまうので、
しばらく様子をみましょう。
私の方も夢遊病について、他のカウンセラーに対処法を聞いてみるので…」
私は前を見失いそうになりながらも、母親にそういった。
きっと一番つらい状況にたたされているのは、サキちゃんの母親であるこの人だ。
「すみません。ありがとうございます」
母親の背が自然と丸まっていて、影を落としているように見えた。
「いえ、お母さんの方も心配でしょうが、あまり気を落とさないように…」
こういう時こそ、母親に忍耐強くなってもらわなければ困る。
母親が崩れてしまって、そのまま子供も共倒れする危険性があるからだ。
夢遊病――…
夢中遊行症ともいう。
眠っているうちに起き出し、何らかの行為をして再び眠ってしまい、
あとでその行為について全く記憶していないこと。
神経症的な葛藤があって、それに対する反応として起こることが多い。
サキちゃんは今、こんな状態である。
一体どうすればいいのだろう…。
「なに難しい顔してんだよ?」
仕事帰り、ヨウと歩いていると彼が顔をのぞきこんできた。
「え…あ、ごめん。ちょっと考えゴト…」
「仕事のこと?」
「うん…」
「…ちょっとそこに座ろうか」
ヨウはそう言うと、私を近くのベンチに導いた。
「どした?」
「えと…私の担当してる『サキちゃん』っていう女の子がいるんだけど…」
「あぁ、あの小学生の子ね」
私はサキちゃんとよく一緒にいたり、
サキちゃんの話を彼にしたりすることもあるので、
彼はすぐにサキちゃんのことがすぐにわかった。
「実は最近、夢遊病になったらしくて…
どうしたらいいのか考えていたの」
「夢遊病か…難しいな。
で?彼女は起きて何をしてるの?」
「それがわからないらしいの…
全身泥だらけらしいんだけど…」
「泥だらけってことは、庭かなんかにでて何かやっているんだろうな」
「うん…」
しばらくの沈黙。
「みんなで遊びたいとかいう思いがあるんじゃないか?
たとえば、公園で砂いじりとか…さ。だから泥だらけとか。
夢遊病って、自分がやりたいこととかが反映されることが多いから、
まずサキちゃんが何をやりたいとか気になっているのか、
つきとめる必要があるんじゃないのか?」
ヨウは足を組み、それと同時に腕も組んでいった。
「そう…ね。やっぱり根底をつきとめないとね。
母親に頼んで、家に泊まらせてもらうことにする。
それでサキちゃんの様子をみることにする」
「そうだな。それがいいんじゃないか?」
「いつもありがとう、ヨウ」
「いいえ、どういたしまして」
そう言って、お互い強く抱きしめあった。
「サキちゃんのことが一段落したら、気晴らしにどっかいこ。
最近仕事ばっかだろ?」
ヨウが耳元でささやいた。
私は「うん」と、静かに答えた。
ヨウは私から少し体を離し、顔を近づけてきた。
そして私たちは長いキスをした。