if…


 私たちは駅からそう遠くない、和食屋に入った。
中はカウンターと、奥には個室になっている座敷があった。
カウンターは少し騒がしかったので、座敷にいった。
障子と畳の和が心を落ちつかせる。
料理が運ばれてくる以外に、障子の戸が開くことはなく、
そとで盛り上がる声は遠くの方でぼやけて聞こえた。
部屋は静けさを保つ。
スバルと私だけの空間。
目の前でスバルが料理に箸をすすめる。
その姿を見ていることが夢のように感じられ、
私は食事をなかなかすすめることができなかった。
それに気がついたスバルが声をかけてくる。
「あれ…?和食ダメだっけ?」
私は慌てた。
「う、ううん!そんなことないよ」
私は我に返ったように料理を口にはこび始めた。
「今日は楽しかったけど…先週の土曜には正直、まいったな」
「え?」
私が顔をあげると、スバルはお酒を一口飲んだ。
「あいつもたまに突拍子のないこと考えるからさ…
 でもまぁ、ナツキと知り合いだったとはホント驚いたよ」
「サキちゃんのお見舞いにいった時、ちょっと顔見知りになったの。
 私も驚いたよ。スバルとユイナさんが婚約してたなんて…」
と言葉にしてから、しまった…と思った。
軽々しく口にしたことにバツが悪かった。
スバルも微妙な反応をしていたので、謝ろうとした。
「ごめんなさい…あの…」
「いや、いいんだよ」
スバルは微笑んだ。
「実は…さ、俺自身もアイツとの婚約に驚いてるっていうかなんていうか…」
出会ったときはまさかこの人と…なんて考えなかったのだろう。
でも、何かがひかかった。
まるで婚約は自分の意志ではない…というような言い方にも聞こえた。
話を聞いていいものだろうか迷ったが、
聞いた方がいいような…むしろ聞きたかったのかもしれない。
「…驚いてるって…?」
スバルは持っていた箸を置いて、ゆっくり話し始めた。
「なにから話せばいいのかな…。
 アイツは許婚というか…政略結婚というか…
 祖父同士が決めていたことだったんだよ」
「…スバルのおじいさんが?」
私はまだ話がみえなかった。
「アイツと俺の祖父は大学時代からの友人で、今でもとても仲がいいんだ。
 二人は家の病院を継ぐことになっていた…そして継ぐ時、
 お互いの病院がより良い繁栄を築けるよう、
 自分たちの子供を結婚させようという約束をしたんだ」
スバルはお酒を一口飲んだ。
「え…じゃあ、二人の子供は…」
「いや、結婚しなかった。
 俺の親父は長男だったけど医者にならず、次男が継いだんだ。
 で、向こうを継いだのが一人息子…男同士じゃ無理だろう?」
「そうね」
スバルがいたずらっぽく言ったので、私はくすっと笑った。
「それから叔父には娘が一人生まれたんだけど、医者にはならなかった。
 俺が医者になるってことで、祖父の病院を継ぐことになって、
 向こうを継ぐことになったのがアイツだと決まった瞬間、
 俺たちの縁談が持ち上がったんだ」
そう…だったんだ。
「まぁ最初は悪い冗談かと思ってたんだけど、だんだん本格的になっちまってさ…」
知らなかった…そんなこと知るワケなかった。
私が私の道を歩んでいる時、彼は彼の道を歩んでいた…――
「…イヤじゃ…なかった?」
「え…?」
「おじいさんたちに縁談決められて…」
スバルは私の問いに目を丸くした。
なんと答えていいのかわからないといった感じで、黙ってしまった。
彼の反応で我に返る。
「ご、ごめんね、変なこと聞いて」
私は慌ててお酒を手にして、口にはこんだ。
スバルは静かに首を横にふった。
「嫌じゃないって言ったらウソになるけど…
 アイツのことは好きだと思うし。でも、正直どうでもよかったかな…。
 言い方悪いけど。それに俺には…」
彼は最後の一言を言おうとしてから、はっとしたようにやめた。
――…それに俺には…
「…スバル?」
「いや、なんでもない。
 ごめんな、変な話になって…それよりナツキは?」
彼は逃げるようにして話題をそらした。
いきなりこちらに話をふられて、何と言っていいのか困ってしまった。
「え…私?」
「うん。フジサキさんとは…結婚したりするの?」
スバルが“結婚”を口にしたので、心臓が飛び出る思いがした。
同時に、ヨウからプロポーズされた時のことが頭をよぎった。
「ヨウには…プロポーズされてる」
スバルに話そうか迷うより前に、気がついたら口にだしていた。
「そう…なんだ…」
彼の表情に変化はなかった。
「でも…私が…」
「ナツキが…?」
彼は真剣な顔つきで、私の言おうとしていることを聞こうとしていた。
「私が…まだ返事をしていなくて…」
「…どうして?」
スバルが、やわらかに私に問いかける。
「なんでかわからないけど…でもこれでいいのか?って。
 心のどこかで歯止めがかかる。
 ヨウとの結婚はイヤじゃないけど、リアルに考えられない」
「……」
スバルは黙ってしまった。
こんなことを話してしまったことに後悔し、自分を責めた。
体が固まったみたいに動けなくて、言葉がでなかった。
頭も正常には働いてくれなかった。
「何て言っていいのか、わからないけど…」
スバルが困ったように話し始める。
「結婚って一生のうちで大事なことだし、無理に決めなくていいと思う。
 ナツキの思うままにすればいいんじゃない?」
私はただ、スバルを見つめることしかできなかった。
スバルは一度視線をずらしてから、また私のと合わせた。
「ごめんな。ありきたりなことしか言えなくて…」
「ううん、ありがとう。
 私こそ変なこと話しちゃって…ごめんね」
お互いに、相手のことについてはそれ以上何も言わなかった。
立ち入ったことを聞いてしまったかと、なんとなく気まずかった。

 食事を終えて、お会計をする時だった。
私は丁重にお断りしたが、スバルは私の分まで払ってくれた。
さらに、駅まで送ってくれた。
人なみを歩く私たちを、周囲の雑音と沈黙が包んでいた。
お互い、無理に話そうとはしなかった。
食事をした店から駅まではそう離れていなかったので、十分程度で着いた。
「ごちそうさまでした。送ってくれてありがとう…それじゃ」
「ああ。気をつけてな」
彼に別れを告げ、背を向けた。
もう、スバルに会うこともないんだろうな…
そう思って、誰にも気づかれない小さなため息をついた時だった。
「ナツキ!」
左腕をぐいっとつかまれ、私は後ろを振り向いた体勢となった。
目の前にはスバルがいた。
私は今起こっている状況がわからなくて、
スバルを眺めているしかなかった。
彼もまた、自分の行動についてわかっていないようだった。
「あ…いや、ごめん」
私のつかんでいた腕からゆっくりと手を離し、
反対の手で口をおおった。
「ううん」
二人の間に不思議な空気が流れた。
スバルは少し考えてから上着のポケットを探り、
ペンと手帳をだした。
そこに何か書きとめてから一枚破って私に渡した。
「これ…?」
「俺の携帯番号とアドレス…
 サキちゃんのこと気になるしさ、なにかあったら連絡して」
彼が気にしているのはサキちゃんだけかと、
心のどこかで落胆しながらも決して態度にはあらわさないように、
「わかった」と言ってメモを受け取ろうとした…が、
彼は手離さなかった。
私は彼を見た。
何か言おうとしている顔だった。
「あと…」
彼の言葉を、心の中でリフレインする。
「あと…ナツキにも何かあったら…」
頭のシンがじんじんした。
耳の奥で、鼓動の音が大きく聞こえる。
「まぁ、フジサキさんがいるから心配ないだろうけど。
 必要なければ捨てていいから…」
彼が切なげな笑顔で言う。
そして、メモからゆっくり手を離した。
「ありがとう」
乾いたのどの奥から、その一言を言うだけで精一杯だった。
私は「さようなら」と目で彼に別れを告げ、
また再び背を向けて駅へと足をはこぶ。
頭の中真っ白のまま改札を通り、電車に乗る。
ドア付近に立ちながら、通り過ぎていく夜の景色を眺め、
窓に映る自分も眺める。
手には、スバルに渡された一枚のメモ。
見るとそこには確かに彼の携帯番号とアドレスがあった。
近くにあった手すりをきゅっとつかみ、
ドアにもたれかかってそして目を閉じた。
胸がまだドキドキしていたまま、急に目頭があつくなった。
スバルの顔が頭をちらつく。
正直、嬉しかった…

 翌日。遅い朝の日曜日を私はむかえた。
昨日疲れたせいかぐっすりと眠って、お昼近くまで目を覚まさなかった。
朝食と一緒の昼食をとって、ゆっくりと紅茶を飲んでいた時、
近くに置いてあった携帯が鳴った。
ヨウから電話がかかってきた。
昨日帰宅してから携帯を見ると、ヨウからの不在着信が何件かあった。
マナモードにしていたし、携帯の確認もしていなかったので全然気がつかなかった。
「もしもし?」
通話のボタンを押すと、向こうからヨウの声が聞こえてくる。
「…もしもし、ヨウ?」
「あー…やっとつながったよ。
 昨日何度かかけたんだけど、ナツキでないし」
彼の安心した声が耳元に届く。
「ご、ごめん」
私は謝るだけで、言い訳もなにもしなかった。
耳元に聞こえてくる電波の音が、私の胸をつく。
「…どうしたの?具合でも悪い?」
しばらくして、ヨウの声が聞こえた。
「昨日、会社休んだだろ?だから心配でさ…」
「ううん、なんでもないの。全然平気。
 ちょっと用事ができたから有給をとっただけ」
「そっか…なら安心したよ」
その言葉にはうそがあるように感じた。
彼は続けて言う。
「今夜、飯でも一緒にどう?」
いつもなら彼の誘いにのるが、
今日は疲れていたせいかそんな気分になれなかった。
「…ごめんなさい。今夜は遠慮しておく」
心が重くなった。
「…わかった。また今度な。じゃあ明日」
「うん」
そして電話は切れてしまった。
電話の切れた音が私を責めるようにして、
さらに胸をつく。
こうやってヨウの誘いを断ったのも、
隠し事をしたのも初めてだった。
携帯からそっと耳を離し、画面を見た。
ボタンを押して、電話帳をひらく。
仕事や友達というように、登録する時はグループ別に登録するのだが、
彼だけはどこのグループにも属さない気がして、
彼だけしか登録していないグループがある。
『アイジマ スバル』
たった一人の名前が画面に映しだされる。
昨夜、家に帰ってから彼にもらったメモを見ながら登録した。
使うことはないだろう…と、
登録したことで満足するしかなかった。
彼の名前をずっと眺めていても飽きなかった。
そしてだんだんと、私を変な気分にさせた。
私は頬杖をつきながら、ぼうっと携帯を手にしたままだった。
こうして何をすることもなく、一日は過ぎた。
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