if…


 スバルには、もう会えることはないと思っていた。
しかし、また会える日は意外にも早く訪れた。
水曜日にサキちゃんとスバルに会うために、病院に行くことになった。
その週の月曜日、サキちゃんのカウンセリングをしている時だった。
サキちゃんが「先生に会いたい」といった。
母親はなだめたが、サキちゃんはきかなかった。
いつものサキちゃんだったらこんなにごねないので、
母親と私は驚いた。
「サキ、この前帰りに寝ちゃって、先生におぶってもらったのにお礼も言えてない。
 もう一回、先生に会いたいの!」
どうやらサキちゃんはスバルをすっかり気にいってしまったようだ。
少女の真剣な訴えに、私たちは折れた。
水曜日が自宅訪問の日だったので、
その時間内でスバルの病院に行こうということになった。
という訳で、サキちゃんは母親と一緒に作ったというお菓子を持って、
私はサキちゃんの手をひいて、病院にやって来た。
スバルにはメールで知らせようかどうか迷ったが、
もし会えなかったら困るので連絡しておいた。
こちらもあくまで仕事中であって、時間が限られているのだ。
スバルは心よく承諾してくれた。
2時に病院のロビーで会うことになっていた。
「先生に会えるかな?」
サキちゃんにはスバルと約束していることを教えていない。
「どうだろうね?」
と言いつつ、私はロビーを見回す。
「あ!先生!!」
サキちゃんの叫んだ声が聞こえたと同時に、少女が私の手をひっぱる。
少女に連れられる方を見ると、その先にはスバルの姿があった。
「先生、こんにちは!」
サキちゃんは私の手を離してからスバルに飛びつき、彼は少女を抱える。
「こんにちは、サキちゃん」
そしてそのまま私にも顔をむけてきた。
「やぁ、ナツキ」
彼が優しく微笑むので、胸があつくなった。
「こんにちは」と軽く挨拶するのが精一杯だった。
「先生、この前はどうもありがとう!
 それでね、今日は先生に渡したいものが…」
「ナツキ!?」
サキちゃんが話すのを別の声が遮った。
声のする方を見ると、そこにはユイナさんがこちらに駆け寄ってきていた。
「やっぱりそうだ!」
彼女は私だとわかると側まで近づいてきた。
「今日はなんでまたココに…?あら?この子は?」
彼女はスバルに抱えられたサキちゃんを見た。
「この子は私がカウンセリングしている子です」
「あー!この子が…じゃあ今日はスバルに会いにきたってとこかな?
 はじめまして。私は『シマカワ ユイナ』です」
ユイナさんの挨拶に、サキちゃんは警戒した目で見るだけだった。
その反応にユイナさんはいやな顔一つせずに、
軽く首をかしげ「しょうがないっか」という顔をした。
「そうそう!私ね、ナツキにちょっと話があったのよ。
 ちょうど良かった。今いいかしら?」
「え…でも」
ユイナさんに言われ、私がちょっと困っていると、
「すぐに終わるから!その間にこの子のこと頼んでいいかしら?」
と言って、サキちゃんをスバルに頼んだ。
スバルは肩でため息をし、
「じゃあ外で散歩してるから」
と言い残してサキちゃんを下ろし、手をつなぎながら病院をでてしまった。
彼女と私がその場に残され、
なかば強引に彼女に付き合わされることとなった。

 「はい、コーヒー」
「ありがとうございます」
ユイナさんが買ってきたホットコーヒーを私は受け取った。
私たちはロビーの隅に自動販売機がおいてある、
休憩所のような所のソファーに腰をおろしていた。
目の前を患者や病院のスタッフが通り過ぎるだけで、
そこには私たちだけしか座っていなかった。
私はサキちゃんと時間のことが気になっていたので、
手短に本題に入ってもらうようにした。
「ユイナさん、話ってなんですか?」
彼女は面食らったような顔をしていた。
「突然くるのね」
「…あなた程じゃありませんよ」
自分で思ったが、今日の私の態度はいつもの彼女に対するのとは少し違っていた。
彼女のペースにはまってはいけない…そんな予感がしたからかもしれない。
「話…そうね、私があると言ったのよね」
ユイナさんは両手でコーヒーの入った紙コップを包み込むように握り、
ふぅと息をついた。
「私ね…いつも不安になるの。
 心の中がすごく重くなって、自分ではどうしよもなくなってしまうの」
彼女は私にカウンセリングを求めているのか?
「仕事で不安になるということですか?
 確かに、医者という職業は人の命を預かりますからね。
 でもそんなに…」
「違うわ!」
ユイナさんが強く否定したので、ビクッとした。
「私が恐れているのは…約束という、
 目に見えない契約よ」
彼女はうつむいてしまって、私は何と言っていいのかわからなくなってしまった。
「あ…の、ユイナさん?」
「わからない!?
 私はスバルとの婚約に恐れていると言っているのよ!」
彼女の持っていた紙コップの中身がこぼれそうにゆれた。
「何…言っているんですか?
 アイジマ先生は、あなたと結婚すると決めたから婚約したのでしょう?」
私は彼女の顔をのぞきこんだ。
すると彼女は口もとをくいしばっていた。
「婚約ったって、所詮祖父同士が決めたことよ!
 正式には彼からプロポーズされてない。
 彼にとってはどうでもいいことなのよ!」
彼女の目からは涙がこぼれそうに、いっぱいになっていた。
「彼はずっと誰かを想い続けている!
 その相手以外に心から愛情を抱くことはないのよ…!」
そう言いながら彼女は立ち上がり、
その彼女を私はただ見上げてるだけだった。
「私、この前4人で出かけた時に思ったの。
 スバルの目が違っていたことを…」
私は聞くことしかできない。
彼女の気迫に満ちた態度に気負いしていた。
「彼の…ナツキを見る目が違っていた」
――…彼女は何を言っているの?
「だいたいなんなの!?あの二人の態度。
 あきらかに敵意を持っていたじゃない。フジサキさんも気づいている。
 スバルがあなたを想いつづけているってこと!」
「違う!!」
「違うんだったら、どうして二人で出かけたりするのよ!?」
私は一瞬止まってしまった。
「…見たのよ。土曜の夜、駅にいた二人を」
サキちゃんと遊園地にいった日の帰りだ。
彼女に見られてしまっていた。
「違う!あれは…」
「何が違うの?じゃあどうして彼はそのことを言ってくれないの?
 私に知られたらマズイことがあるからでしょ!?」
「本当に…違う」
彼女の感情が高ぶっている証拠に、語気が荒くなり、
本人の意志ではない涙が流れ落ちる。
今、彼女に事情を話してもきっとわかってもらえない。
私の声はだんだん弱々しくなっていった。
ただ、否定することしかできなかった。
「…ナツキはどうなのよ」
彼女の真剣な問いに、私は真剣に答えた。
「私には、フジサキさんがいる」
「じゃあ、もう二度とスバルには会わないで!」
私は彼女をじっと見つめるしかなかった。
しばらくしてから、
ユイナさんは頬を濡らしていた涙をぬぐっていった。
「…ごめんなさい。
 ちょっと話すつもりがつい感情的になってしまった。
 …忘れて」
彼女はまだ中身が入ったままの紙コップを捨て、
その場を去っていった。
頭の中を起動させるのに時間を要した。
しばらく、その場から動きだせなかった。
危なかった…
もう少しで、二人の幸せを壊してしまうところだった。
背筋に鳥肌がたった。
いつも明るい彼女の、
あんなに怒りと悲しみに満ちた顔を見るとは思っていなかった。
たとえ、婚約が決められたものでも、
本人たちの意志で決められたことでなくても…
彼女は…本気でスバルを…愛しているのだ。

 「あ、ナツキおねえちゃん。おかえりー」
病院の外に出て二人を探していると、
木の下の芝生で寝そべっているのを見つけた。
「おかえり。ナツキもどうだ?」
スバルが仰向けになったまま、芝生を軽く叩いた。
「ううん…いい」
私はぽつりと答えた。
さっきのユイナさんの顔が脳裏をかすめる。
「…どうした?」
スバルが私のちょっとした変化に気づいたのか、
立ち上がって聞いてきた。
「あいつに何か?」
「なんでもないの」
私の顔を覗き込もうとした彼の視線から、私はふいっとそらした。
できることならこれ以上話したくなかったが、
彼女が誤解していることだけ伝えておいた方がいいと思った。
「…ユイナさん、誤解してるわ」
「何の?」
「土曜の夜、駅で私たちを見かけたって…」
「まじか?」
スバルはまずいといった顔をした。
「…やばいな。俺、言ってないんだよ。土曜のこと」
「彼女、心を痛めている。
 私が何を言っても無理だった。だから、あなたの口から…」
「わかった。悪かったな」
「ううん」
私はこちらを見上げているサキちゃんの視線に気がついた。
何を話しているのか、不思議そうな顔をしていた。
「あぁ、ごめんね。もう帰ろうか?」
私はサキちゃんの手をとった。
「ちゃんと先生に渡した?」
「うん、渡したよ。
 またね、先生」
「ありがとう。またおいで」
スバルは手をふった。
「じゃあ」
「ああ…」
私はスバルに背を向けて歩きだした。
――…サヨナラ スバル…
そう、これが最後。もう二度と会うことはない。

 サキちゃんを家に送り届け、会社に戻ろうと駅に向かっていた。
すると、四つ角の左側からヨウが姿を見せた。
影に身を潜ませていた彼に気づかなかったので、
私は驚いて足を止めた。
「ヨウ!?なんでここに…?」
彼は私の問いかけなど無視して口を開いた。
「おまえ、どこに行ってた?」
「え…どこって…」
「病院か?」
「どうして…それを…」
ヨウの様子がおかしい。
「アイツか?アイツの所に行ってたのか?」
ユイナさんの言葉がよみがえる。
「アイツって…」
「あの医者に会いにいったのか!?」
ヨウが眉をひそめて言う。
否定できなかった…。
「そうなんだな…」
彼が確認するように私に言う。
それが私に詰問されている感覚に陥らせた。
ヨウが一歩一歩近づき、私の両肩をつかんで頭をさげた。
「こんなことして情けないとは思うけど…
 頼む!アイツにはもう会わないでくれ!!」
心が痛んで仕方がなかった。
彼につかまれた肩があつい。
そのあつさは私の心にまで届き、全身があつくなった。
視界が、ぼやけた。
――…ゴメンナサイ
心の中でしか、謝れなかった。
息を殺したように私は答えた。
「…わかった。もう、会わないから…」
向こうの方で、太陽が沈んでいくのが見えた。
二人の気持ちがどれだけ深いのか…
どれだけ真剣なのか…
心を傷つけながらやっと自覚することができた。
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