if…


 それから、普通の日常を送り始めた。
べつに今までが異常だったといっているわけではない。
全てがもとに戻ったのだ。
スバルと出会う前の日々に…。
仕事は忙しいけど順調にいき、
ヨウともうまくやっている。
私の大切な存在を、もう少しで失ってしまうところだった。
この人のそばにいると安心できる。
自分のことをこんなに想ってくれる人はいない。
近くにいすぎて忘れかけてしまっていた…。
二度と、彼にあんな顔をさせてはいけない。
彼からのプロポーズも受けようと思っている。
そう、全てがもとどおりに…
ホントウニ…?
あのあと、スバルとユイナさんはちゃんと仲直りできたのか。
誤解は解けたのか…
心にひかかってる。
私の出る幕じゃない、余計なおせっかいだ。
そんなことわかってる。
わかってるけど、頭から離れない。
やっぱりどこか完全には捨て切れない部分を残している。
こんなではいけないのに…
早く消さなければ。
私は…
ワタシハ ヨウトシアワセニナル…――
そう言い聞かせてる自分の存在が、心の奥にいることも知ってる。
「ナツキ」
ヨウにそう呼ばれる度に、自分はココに戻ってくる。
「どうしたんだ?最近ぼぅっとしてること多いな…
 大丈夫?」
「う…うん、大丈夫。なんでもないの」
つくり笑いして、いつも誤魔化す。
毎朝、起きて自分の顔を見ると…
ひどい顔をしている。
夜中には自然と涙が流れてきて、止まらなくなる。
そのせいであまりよく眠れない日々が続いていた。

 その日も、いつものようにサキちゃんのカウンセリングをしていた。
自宅訪問だったので、サキちゃんの部屋に二人きりでいた。
母親が持ってきてくれたチョコレートケーキをほおばりながら、
「サキが入院してた時に、
 ヨウおにいちゃんが持ってきてくれたチョコレートケーキ、
 おいしかったなぁ…」
と、その時のこと思い出すようにサキちゃんはいった。
「そぉ?でもこれもおいしいじゃない」
私はケーキを口にはこびながら言う。
「うん。
 ヨウおにいちゃんおもしろかったなぁ…また会いたいな」
「彼にそう伝えておくわ」
「でも…サキはアイジマ先生とナツキおねえちゃんと、
 三人でいる時が一番好き!」
「え…?」
「ヨウおにいちゃんといた時より、
 先生と三人でいた時の方が心がぽかぽかしたの」
サキちゃんが嬉しそうに話す。
「サキは先生が大好き!」
満面の笑みを向けてくる。
「だから、大好きなナツキおねえちゃんと一緒にいてほしいの!」
サキちゃんは身をのりだして言う。
「ねぇ!ナツキおねえちゃんも先生のこと好きでしょう?」
「…ええ、好きよ」
「そうじゃなくて!」
「サキちゃん」
私は興奮気味の少女をなだめた。
何か言いたそうなのを堪えている少女の頭をなでた。
「私に何を求めているの?」
「……」
「私にはヨウという恋人がいるの?わかる?
 だからアイジマ先生とは…」
「サキ、学校に行く」
「え…?」
私は少女の一言に絶句した。
「学校に行くから…!」
「まって。まってサキちゃん、落ちついて」
今日のサキちゃんはなんだか様子が変だ。
目にはいっぱいの涙があふれている。
「サキちゃん。まず、どうして学校に行かなくなったのか…
 ワケを教えてくれる?」
少女は始め黙っていたが、ゆっくりと話し始めた。
「…サキの友達がね、学校に大きくてとってもキレイな花束を持ってきたの。
 花びんに入れられて、教室に飾られて、本当にキレイだった。
 サキはその花を眺めるのが大好きで、ある日、
 近づいてじっくり見ていたんだ」
すると、少女の曇っていた表情が一層曇った。
これ以上聞いてしまうのは少女に精神負担がかかってしまうかと思って、
やめさせようか迷った。
しかし、少女は今、一歩踏みだそうとしている…
それの妨げをしてはいけない。
ここを乗り越えなければ、いつまで経っても同じことの繰り返し――…
「うん。それで、何かあったの?」
私は優しく問いかける。
「…教室で走り回っていた子たちとぶつかって、サキは押されて、
 そのまま前の花びんにぶつかったの。
 そしたら…花びんが割れて、花が地面にぐちゃぐちゃになってるの」
サキちゃんの目から涙があふれる。
「花を持ってきた友達は見て泣き始めてた…
 サキはわざとじゃないって謝ったの。でも、
 クラスのみんなが責めるの…サキが悪いって…」
サキちゃんはとうとう泣きだしてしまった。
私はそっと少女を抱き寄せ、背中をさする。
「サキのおこづかいだけじゃ、あんなお花買えない…
 だから家の近くに咲いてる花をいっぱいつんで、その子に持っていった。
 でもあの子は…」
「そっか…そっか…」
サキちゃんは息づかい荒く、泣き続ける。
全てが…つながった。
夜中に庭をいじっていたのは、キレイな花を探すため。
入院中、私が持ってきた花束に妙な反応をしたのは、
過去のことがよみがえってきたから。
出来事としてはたわいのないことだったかもしれない…。
でも、少女の心をここまで傷つけてしまえば、
不登校の原因としては十分なものだ。
サキちゃんはゆっくりと私から体を離す。
涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだ。
私は近くにあったティッシュペーパーでふきとってあげる。
「ナツキおねえちゃん…」
「なあに?」
「サキ…学校に行く。もう逃げるのはやめるよ。
 だから、ナツキおねえちゃんも先生に言って」
「言うって何を…?」
「ちゃんと好きだって言って」
私は苦笑いをして、サキちゃんに言い聞かせようとした。
「あのね、サキちゃん…」
「ナツキおねえちゃんヘンなんだもん。
 この前サキと病院に行ってから…
 つくり笑いばっかり。泣きそうなのごまかして笑ってる」
少女はそしてまた泣きだす。
「そんなおねえちゃん見たくないよ!
 先生と一緒にいる時の笑顔を見せてよ!!」

 それからサキちゃんは、私の腕の中で泣き続けた。
静かになったな…と、顔を覗きこんでみると眠っていた。
泣きつかれてしまったのだろう。
私はそっとベットに運び、布団をかけ、部屋をでた。
下におりて、リビングにいた母親に、
サキちゃんが「学校に行く」といったことについて報告した。
もちろん、スバルと私のことについては触れないで。
「まぁ…サキがそんなことを…!?」
「はい。本当に行くかどうかは明日の朝になってみないとわかりませんが…」
母親が私に紅茶を入れている間に、花束のことについても話した。
「そう…でしたの…」
「そのことがサキちゃんの心にずっとひっかかっていて…それで、
 反動としてこの前の夢遊病のようなことが…」
母親は当惑した顔をしながら、私にお茶をさしだしてくれた。
「でも…事情がわかってほっとしました。
 今まで何でこうなったのか、全くわかりませんでしたから…」
「私もです」
いただいた紅茶を一口飲む。
「もしサキちゃんが明日の朝、学校に行くようでしたら、
 私の携帯に連絡をください」
「わかりました」
そして私は家を出た。
会社に戻って自分の家に帰宅するまで、
私はサキちゃんが本当に学校に行ってくれるのかそればかりで、
期待でいっぱいだった。
明日になるのが待ち遠しかった。
買ってきたビールを手にし、ソファーに座りながらそれを胃に流し込んだ。
ビールは久しぶりに飲んだ。
あまり好きではないのだが、今夜はとても飲みたい気分だった。
窓から見える、夜が私の心を染め始める。
――…先生と一緒にいる時の笑顔をみせてよ!!――
あれには正直まいった。
私の顔はそんなに無理しているように見えたのだろうか…
顔にはださないようにしていたのに…。
逆にそれがつくっているという風に少女には見えたのだろう。
子供には…とくに不安定な子はとても敏感だから。
そんなことを考えながら、
気がつくと部屋にある納戸の中のあるものを探していた。
ずっと奥にしまっていたもの。
ダンボールの中にしまっていたそれらを私は見つけた。
どのくらいだろう…これらを手にしていなかったのは…。
もうすっかり汚れてしまったうさぎのぬいぐるみと、赤い箱。
その赤い箱の中にはロザリオ風のペンダント。
未練がましく、私はこの二つを捨てられずにいた。
どちらも彼が高校の時にくれたものだ。
その二つを持って、リビングに戻った。
目の前に置き、眺めながら私はまたビールを口にした。
そして携帯を手にし、スバルの番号を画面にだした。
電話をしたいという衝動にかられた…できるはずないのに。
今まで、自分がなぜヨウからのプロポーズを受けなかったのか。
なぜリアルに考えられなかったのか…
その理由はちゃんとわかっていた。
そういえば、ヨウとつきあう前もそうだった。
私は二人つきあった人がいたけれど、二人とも同じ別れの言葉を告げられた。
「なぜ俺をみてくれない?
 君を知れば知る程見えてくる。
 本当は別の誰かを好きだということ」
二人のことは好きだったから、別れた時は当然悲しかった。
悲しかった…けど、悲しくなかった。
比べものにならない…あの悲しみに比べたら、悲しくない。
スバルとの別れ。
あれ程私に悲しみと絶望を与えたものはない。
本当に全てがどうでもよくなって、消えてしまいたかった。
彼が私の前からいなくなって、はっきりとわかった。
私がどれだけ彼を好きだったのか――…
結局、完全には立ち直れず、
心に根を残したままだから、新しい恋をできずにいる。
スバルは過去の人。
過去にいつまでもすがっていたって仕方ない。
そう割り切って二人と…そしてヨウとつきあった。
なのに、スバルと再会して私の決心は揺らいだ。
もしかしたら、ただ理想を追い求めて執着しているだけなのかもしれない。
時が動いてしまうのが怖いだけなのかもしれない。
でもやっぱり、私が好きなのは…スバルだった。
他の誰でもない。スバルだけ。
ユイナさんとの婚約を聞いて、胸が重苦しくなった。
婚約が彼の意志ではないと知った瞬間、胸をなでおろしてしまった。
そんな自分を客観的に見つめている自分がいた。
冷静に…そしてあざ笑う。
このままヨウと結婚しても彼を傷つけてしまう…
いや、私がスバルのもとへ行きたいだけなのかもしれない。
彼にきちんと言おう。
全てが壊れてしまうかもしれない…それでも、
これが最後のチャンスだと思うから。
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