if…


 「サキちゃん、学校に行き始めたんだな!
 チーフも評価してくれたし、よかったじゃん」
その日の帰りのことだった。
私とチーフのやりとりを聞いていたヨウが、
自分のことのように喜んでくれた。
「うん、ありがとう」
「よし、じゃあ今夜はどっかに飲みに行こうぜ」
と、ヨウはどの店にしようか迷いながらも歩きだした。
私は、そのあとについていかなかった。
外灯が夜をほのかに照らす。
この道には、私たち二人以外に誰もいない。
静けさが、あたりを支配する。
「ナツキ?」
歩きだそうとしない私に気がついたヨウが足を戻す。
「どうしたんだよ?ほら、行こうぜ?」
ヨウが軽く背中を叩いて促す。
「ヨウ」
真剣な私の呼びかけに、彼は私を歩かせようとするのをやめる。
「…なに?」
彼の顔が見れない。
とても、とてもコワイ。
胸が押しつぶされるくらい苦しくて、息苦しかった。
固まっていた体をゆっくり動かし、
鞄の中から白い小箱を取り出す。
ヨウからもらった指輪が入っている小箱だ。
「これ…」
のどにつまりそうな声をだした。
ヨウは自分があげたものだと確信してから、
「やっと返事を…くれるのかな」
といった。
私はゆっくりと彼の目の前に差し出し、
彼の目を見ていった。
「ごめんなさい…これは受け取れません」
その時の彼の顔を、私は一生忘れることはないだろう。
信じられないといった感じだった。
「本当にごめんなさい!」
私は彼の顔を見ていることが耐えられなくなって、うつむいてしまった。
彼は何も言わない。
私も、もう何も言えなかった。
彼を傷つけてしまった。
殴られたって、罵られたって、軽蔑されたって仕方がない。
それだけの覚悟はできている。
「ど…して…どうしてなんだよ!?」
ヨウはそう怒鳴ってから、私をあらあらしく抱きしめた。
力いっぱい抱きしめてくる。
体と心が痛かった。
「どうして?ナツキのことこんなにも愛しているのに!
 俺にはおまえしかいないのに!
 どうしておまえは他のヤツなんか見てるんだよ!!」
目の前がぼやけはじめた。
ヨウがさらに力を入れて私を抱きしめたので、
「ヨウ…痛い…」
と、つい声にだしてしまった。
彼は私から体を離して言う。
「アイツなんだろ…アイジマ スバルが好きなんだろ?」
私はうなずいた。
「ヤツが好きって言ったのか?いや、婚約者がいるもんな…
 わかってるのか?あいつには婚約者がいるんだぞ?」
「わかってる…だから忘れようとした。
 でも、できなかった。
 きっとこのままあなたと結婚すれば幸せになれる…けど、
 私の気持ち、言わなきゃ後悔してしまう」
私はヨウを見た。
「ヨウ、あなたのことは好き。
 だけど、あの人の存在がそれ以上に私の心を動かすの。
 その気持ちに…自分の気持ちに正直になりたいの」
ヨウはしばらく私をじっと見てから、ため息をついた。
「もう何を言っても無駄なようだな…わかったよ。
 おまえの心がヤツに向いてるなら、
 無理に結婚したって意味のないことだ」
ヨウは私が手にしていた小箱を握らせた。
「アイツに気持ちを伝えてこい。
 それでもし、アイツがナツキを受け入れなかったら、
 俺はもう一度おまえにプロポーズする」
ヨウは私から手を離す。
「おまえを幸せにできるのは、もう俺しかいなくなるのだから」
彼はそう言って私に背を向け、その場を去っていった。
彼の姿が見えなくなっても、私は一歩も動けなかった。
涙があとからあとからこぼれた。
ヨウは、私なんかと比べものにならないくらい傷ついている。
全部、私のせいだ…。
それでもやっぱり、自分の気持ちを隠し続けたくなかった。
昔みたいに、もう後悔するのは嫌だった。
「ごめんなさい…ヨウ」
泣きそうなのを必死でこらえながらも、
涙は流れ続けた。
私を険しい表情で見つめる彼の顔が、頭から離れなかった。

 私はスバルにメールした。
サキちゃんが学校に行き始めたことについての報告と、
相談したいことがあるから都合のいい日はありませんか?と。
返事は一時間くらいあとに返ってきた。
サキちゃんのことはもちろん喜んでくれていた。
それから、今度の土曜の夜はどうかとあった。
『一緒に食事でもしながら話さない?俺もナツキに話したいことあるし』
…話したいこと?
なんだろうと期待が膨らんだが、
ユイナさんと仲直りしたことだろうと頭に浮かんだ瞬間、
期待は一気にしぼんだ。
こうして、スバルと私は土曜の夜に会うこととなった。

 土曜の夜、7時に駅前に待ち合わせの約束をしていた。
仕事帰りにそのまま駅に向かうと、スバルが既にいた。
「ごめん、待った?」
「いや、今さっき来たとこ。
 こっちこそなんか急がしたみたいだな」
「ううん、予定より仕事が長引いちゃって…」
「ごめんな。明日にすればよかったかな?」
「今夜で大丈夫だよ」
変な感じだった。
この前はもう二度と会わないって決めたのに、
結局また会ってしまった。
彼に会えて、顔を見れるだけでも、嬉しくてしょうがない。
顔が思わず緩んでしまいそうだ。
ユイナさんのことを考えると、私がこれからすることも含めて、
心がとても痛むけれど…もう、あと戻りはできない。
「じゃあ、行こうか」
彼の言葉に私はうなずく。
スバルは行こうとしている店に私を導く。
まるで恋人同士のように歩いていること…
それだけでも満足できてしまう。
そのせいで行くまでの道のり、会話がうまくできなくて、
スバルに何度か声をかけられたけど、きちんと答えることができなかった。
こんな状態で自分の気持ちを伝えられるのだろうか?と考えると、
先が思いやられて暗い気持ちになりそうだった。
つれてこられた店は、ちょっと高そうなレストランだった。
中には大きな窓が張りめぐらされ、外の夜景が一望できた。
ここの近くに海があるのだが、それもよく見え、
私はすっかり夢心地気分になってしまった。
食事はコースになっていて、スープから始まり、
前菜とテンポ良く順々にテーブルに運ばれてくる。
久しぶりにこういう店にはいったのでとても緊張してしまい、
そのせいか何度もワインに手がのびてしまった。
一方、スバルは平然と食事をすすめていた。
医者の息子とだけあって、こういう所には慣れているのだろうか?
まさかこんな店に入るとは予想していなかった。
「サキちゃん…学校に行ってるんだな…」
場が場だったのでお互いに口少なく、ほとんど無言状態に近かったのだが、
その空気を先に破ったのは彼の方だった。
サキちゃんの話題に触れられ、私のテンションが一気に上がる。
「あ、うん。そうなの!
 強制したわけじゃなくてね、サキちゃんが学校に行くって言いだして、
 自分の足で家の外にでたんだよ!
 最初はどうなるかと不安でしょうがなかったんだけど、
 学校に行き始めてから一日も休まずに登校し続けてるの!」
自分が一方的にしゃべり続けていたことに、はっとする。
スバルは何も言わず、あっけにとられながらも笑いをこらえ、
ただ私の話を聞いていた。
風船が勢いよくしぼむように、私は冷静になった。
縮こまったという方が正確かもしれない…。
「ごめんなさい…私だけしゃべっちゃって…」
「いや、自分のことのように嬉しそうに話すなぁって…」
スバルは口もとを手で軽く押さえながら、くすくす笑った。
私はなんだか恥ずかしくなってしまった。
「ああ…ごめん。
 ナツキはサキちゃんのことが好きなんだね」
私は笑顔で肯定した。
さっきまで緊張していたのがウソみたい。
今は楽しくて、嬉しくて…
目の前にいる彼とこうして時間を共有できることが夢のようだった。


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