if…
 

 さっきまでいた病棟に隣接する棟の最上階につれてこられた。
そこは病棟とは雰囲気が違っていて、
いわゆる関係者以外立ち入り禁止区域のようだった。
静かだった。
病院内の騒がしさはない。
長い廊下を歩く二人の足音がヒタヒタと響くだけ。
しばらく歩くと彼女が足をとめた。
茶色いドアのドアノブを握りながら彼女はいった。
「ここ、私の部屋なの。
 書類を整理したりする時以外はあんまり使わないんだけどね」
医者でこのような個室をもてるなんて…
この人はこの病院の幹部なのだろうと私は思った。
驚いたままの私を彼女は部屋の中へと導いた。
「ちょっとまっててね。あ、そこのソファーに座ってていいから」
目の前に高そうなソファーがあった。
座ると見た目どおり、座り心地抜群だった。
私はやや緊張しながら周りを見回した。
部屋全体はあまり広々としていなかった。
私が座っているソファーの横に大きなデスクがあり、
その上には書類やら医学の本やらがたくさん積まれてあった。
彼女はドア近くにある小さなレンジ台でお湯を沸かし、
コップを隣にある戸棚からだしていた。
この人は…一体…
「はい、どうぞ」
彼女は私の目の前にあるテーブルの上に紅茶を置いてくれた。
そして、片手にもう一つのカップを手にしながら彼女は私の目の前に座った。
一口紅茶を飲んでからカップをテーブルの上に置いた。
私は我に返ったように慌ててお礼をいった。
「あ、ありがとうございます。なんだか…すみません」
彼女はにっこり笑った。
「いいのよ、気にしないで。私も半ば強引に連れてきちゃったし。
 …私はね、ここの病院の外科に勤務している『シマカワ ユイナ』です」
外科…スバルと同じだ。
「私はカタヤマ ナツキです」
「カタヤマさん…ね。よろしく。
 カタヤマさんは、よく病院へ…?」
「あ、いえ。私、心理カウンセラーの仕事をしていて、
 担当している子が昨日から入院しているので…」
「そうなの」
シマカワさんはとてもやわらかな人だった。
一つ一つの動きや表情になめらかさがある…というか、
とにかくこの人の周りだけ空気が違うような気がした。
私と気があうようで、その後しばらく話しこんでしまった。
この人は本当にいい人で、友達になれたらいいな…そう心から思った。

 「あ…と、そろそろ病室に戻らなくちゃ」
私はサキちゃんのお見舞いに来ていたことをすっかり忘れていた。
「そうね、お見舞いに来ていたのよね。
 ついつい長居させてしまったわ。ごめんなさいね」
「い、いえ。こちらこそありがとうございました」
私はソファーから立ち上がり、自分の持っていた花瓶を持った。
ずいぶんここにいてしまった気がする。
しかし時計を見ると、まだ三十分くらいしかたっていなかった。
「もう顔色もよさそう…ね」
シマカワさんは、ドアへ向かう私を見送るように立ち上がった。
「本当にありがとうございました。失礼します」
「ここから病室への行き方、わかる?ついていこうか?」
「いえ、大丈夫です。わかります」
「そか、じゃまたね、ナツキ」
シマカワさんが突然私の名前を呼んだので驚いた。
「また…ユイナさん」
小心者の私は“さん”付けが精一杯だった。
私はユイナさんの部屋をでて、サキちゃんの病室へ向かった。

 サキちゃんの病室に戻ると、そこにスバルの姿はなかった。
ほっとしたような、がっかりしたような。
「ナツキおねえちゃん、どこいってたのー?遅かったね」
少女は予想通り心配していた。
「あ…ごめんね」
「ここの病院広いから、迷子になっちゃったんじゃないかって…
 先生、探しに行っちゃたよー」
「え…」
私は一瞬固まってしまった。
この少女の言っていることがわからなかった。
「サキちゃん…探しにいったって…アイジマ先生が、私を?」
私は頭の中を整理しながらサキちゃんに問いかけた。
「うん、そうだよー。ついさっき」
私の頭の中は真っ白になった。
スバルが…わざわざ私を…
その時だった。
「あー戻ってたのか」
後ろから声がした。
振り返るとスバルがいた。 「先生だー。おかえりなさい」
サキちゃんが笑顔で迎える。
「もしかして戻ってきてるかな?と思ったら、アタリだ」
スバルは微笑みながらサキちゃんと私のいる方へ近づいてきた。
「ごめんなさい…私を探しにいったって…」
「ああ、いや…サキちゃんがナツキが帰ってこないって、
 あまりに心配そうにしてたから…さ。
 よかったな、おねえちゃんが戻ってきて」
そう言ってスバルはサキちゃんの頭をなでた。
「ありがとう、先生」
二人のやりとりを見ていると微笑ましかった。
私は花瓶を手に持ったままでいることに気づき、
サキちゃんのベット横のテーブルにそっと置いた。
「あのね、先生?サキ、お願いがあるの」
「ん?なに?」
「サキがね、退院したら…遊園地につれってってほしいの」
「俺が…サキちゃんを?」
「そう…だめ?」
スバルは腕を組んで、少しわざとらしく難しい顔をした。
「うーん…よし、わかった!」
「え!?いいの?」
「うん、いいよ」
サキちゃんの顔が笑顔でいっぱいだった。
「ホントに?ホントに?」
「ああ、本当に」
スバルの返答にサキちゃんは大喜びだった。
「じゃあ約束ね!指きりげんまん!!」
サキちゃんが小さな小指を出した。
スバルが自分の小指を近づけた時、サキちゃんは突然声をあげた。
「あ、まって」
スバルはやや驚いて「どうしたの?」と首をかしげた。
「ナツキおねえちゃんも一緒にいこうよ!」
私は思わずサキちゃんの顔を見た。
「ね?」
サキちゃんの懇願する顔に私は困ってしまった。
サキちゃんは何も知らないのだからしょうがないことなのだけれど…
でもこれは決まりが悪かった。
「いや…なの?」
サキちゃんが泣きそうな顔でこちらを見てきた。
泣きたいのはこっちだ…と思いつつ、なんといっていいのかわからなかった。
「あ…と…」
サキちゃんには悪かったが、思い切って断ろうとした時だった。
「いいじゃんナツキ。一緒に行こう」
思いがけない一言に、私はスバルを見た。
「俺があんまり乗り物に乗れないの知ってるだろ?助けると思って…さ。
 それとも仕事、忙しい?」
「ううん…それは平気だけど…スバル、あなたこそ…」
スバル、アナタハワタシガイテモヘイキナノ―…?
「そか、じゃあ三人で行こう。
 病院ってあんま休みないけど、なんとか都合つけるから…
 俺の方は、大丈夫だから――…」
スバルはそういって優しく微笑んだ。
横で聞いていたサキちゃんが口を開けた。
「えー?先生って乗り物だめなの?」
「前よりは乗れるようになったけどな…少し苦手」
スバルは苦笑いをした。
「そか、大丈夫なの?」
サキちゃんがスバルの顔をのぞきこんだ。
「ああ、もちろん平気さ」
そして二人は笑顔で指きりをした。
「ナツキおねえちゃんも」
私はサキちゃんの声にはっとした。
サキちゃんは自分とスバルがげんまんしている小指を立て、
私とのげんまんを求めていた。
私はためらいながらも、そっと小指を近づけた。
「指きりげんまん!」
三人で指きりしたことに、サキちゃんは満足していたようだった。
スバルは笑顔だった。そして私も…。

 私はサキちゃんのお見舞い後、職場に戻った。
けれども、頭がうまく働かなかった。
スバルの一言がちらつく。
…俺の方は大丈夫だから――…
もう過去のことだから、大丈夫だよって言いたいの?
もう平気だからって…。
そう考えていると仕事に集中できず、ため息ばかりついていた。
そんな私を見てか、ヨウが声をかけてきた。
「病院でなにかあった?サキちゃんの具合がよくないとか…」
「ううん、そんなんじゃないの。」
私はそう答えることしかできなかった。
胸につかえてるものを、言葉にすることができなかった。
してはいけない…気がした。
なにやってるんだろう、私。
今さらスバルのこと気にしたって、なんにもならないのに…
バカみたい、考えたってなんにもならない。
きっと彼はもう忘れてる。気にしてなんかいない。
彼は、過去を乗り越えた。
過去を乗り越えきれていない自分が、ひどく幼くみえた。


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