if…
 

 次の日も、午前中にサキちゃんのお見舞いに訪れた。
サキちゃんの笑顔が、暗い気持ちを幾分和らげてくれるようだった。
そこへちょうどスバルがやってきた。
そういえば、サキちゃんの夢遊病が入院中に発病してないか、
スバルに聞こうと思っていたのを忘れていた。
「あの…スバル、ちょっと話したいことが…」
そうスバルに話しかけた時だった。
病室のドアをノックする音が聞こえた。
振り返るとそこに、ヨウがいた。
「え…なんで、ここに?」
「今日のカウンセリングの訪問者がこの病院の近くなんでね、寄ってみた。
 こんにちはサキちゃん。これケーキなんだけど」
「ありがとう!」
サキちゃんは、ヨウが持ってきたケーキの箱を喜んで受け取った。
「ナツキ…こちらの方は…?」
スバルが私に問いかけた。
呆けていた私は、慌ててヨウを紹介しようとした。
「あ、と…こちら、私と同じ職場の同僚で…」
「はじめまして、ナツキの同僚で彼氏のフジサキ ヨウです」
「ヨウ!?」
私の言葉を遮って自己紹介し始めたヨウに、私は思わず声をだしてしまった。
彼氏だなんて…ただの同僚でいいじゃない!?
と、言いだしてしまいそうになったのを必死で飲み込んだ。
私に構わずヨウは続けた。
「随分ナツキと親しい感じがするけど…ナツキ、こちらの先生は?」
そう言いながらヨウは私の肩に手を置き、私を引き寄せた。
私は驚いてしまった。
普段ひかえめの彼が、こんな挑戦的な態度をとるなんて…。
しかも初対面の…よりによってスバルに…。
「こ、こちらは…」
「サキちゃんの担当医のアイジマ スバルです。
 ナツキさんとは、高校の同級生だったんです」
なっなになに?
ヨウの挑戦的な態度に立ち向かうかのような、スバルのこの態度は…!?
私とサキちゃんの存在を無視して、
二人はしばらく沈黙のままにらみあっていた。
「では、わたくしは仕事がありますので失礼します」
先に口を開けたのはスバルだった。
「ええ、また」
ヨウはそう言って、私の肩から手を離した。
寿命が縮まる思いがした。
なんだったの?今の張り詰めた空気は…
あんなヨウも初めてだったけど、スバルも…
まさか、ヨウの挑発にのるなんて。
私は横に立っていたヨウをじっと見た。
ヨウはその視線に気づき、こちらを向いた。
笑顔…に見えたが、目が笑っていなかった。
彼はふっと私から視線をそらし、サキちゃんに近づいた。
「サキちゃん、このケーキおいしいんだよー」
ヨウは何事もなかったかのように、自分が持ってきた箱を開け、
中のケーキを出し始めた。
「わぁ!チョコレートケーキだ!!サキ、だぁいすき!」
サキちゃんはさっきの重たい空気をけろっと忘れたように、ケーキに目をやっていた。
私はその二人のやりとりを見つめながら、
ただただ立ちつくすしかなかった。
何も考えられなかった。
変な期待と、妙な不安が入り混じり、大きな波となっていた。
胸騒ぎがしてしょうがなかった。
目には見えないものに、私は恐れていた。

 「あら、カタヤマさん。こんにちは。
 またいらしてくださったんですね」
しばらくして、サキちゃんの母親があらわれた。
「じゃ、俺はそろそろ時間だから失礼するよ。…ナツキは?」
「私は…もうしばらくいるよ」
「そ?」
ヨウはそう言ってサキちゃんに別れを告げ、
母親に会釈をして病室をでていった。
ヨウがいなくなって、安堵感を感じてしまった。
さっきのスバルとのやりとりがあったせいだ。
あれからずっと、私はヨウの隣で緊張したままだった。
どっと疲れがでたのがわかった。
ヨウといて、こんな風に感じてしまったのは初めてだった。
いつもなら彼の優しさとあたたかさに包まれて…
ふと私は窓の外に目をやった。
もう秋の気配が近づいていて…空はすんでいた。
今の私の心の中とは正反対…。
小さなため息をついてから視線を下に向けると、私の目に飛び込んできたものがあった。
すぐ下の中庭のベンチに、彼が座っていた。
あの後ろ姿は間違いない…スバルだ。
「すみません。私も失礼します」
考えるよりも先に、私は鞄を手にして病室を後にしていた。
私は急ぎ足で病院の外にでて、スバルを見た場所をさがした。
病棟にそって少し歩くと、向こうの方にスバルの姿が見えた。
彼だとはっきり認識できる距離まで、ゆっくりと近づいた。
何か考え事をしている横顔だった。
一瞬、私は過去に戻った。
彼の18歳の誕生日…。
私がとてもひどいことをし、ユウユが彼に告白した日だ。
今思い出しても胸がいたむ。
その日の夜、スバルに呼び出され、私は公園に向かった。
そこでスバルはベンチに座っていた。
今、目の前にいる彼と同じようにして…
過去の彼の横顔が、今の彼の横顔とダブった。
彼がベンチに座り、その数歩手前で私が立っている。
昔の状況にそっくりだ。
「ナツキ…?」
私の気配に気がついてこちらに向いた彼に、私はドキッとした。
突然呼ばれたので、頭の中で考えていたことが吹っ飛んだ。
私は彼になんて話しかけていいのかわからず、
黙ったまま、その場に立ち尽くした。
スバルはしばらくこっちを見てから、私にふっと笑顔を向けた。
「…隣、座る?」
予想外の言葉だった。
てっきり彼はこの場から去るだろうと思っていたから。
私は「うん」と静かにうなづき、スバルの隣に座った。
体全体が固まっていた。
胸の高鳴りが、速さを増した…止められなかった。
スバルに言いたいこと、話したいこと、いろいろある気がするのに、
うまく言葉が見つからなかった。
どうしていいのかわからないまま、お互いに口を閉ざしていた。
沈黙を破ったのは、スバルだった。
「さっき…」
「え?」
「…さっき、何か言いかけていただろう?聞きたいことがあるって…」
スバルに言われて、とっさになんのことだか思い出せなかった。
思い出すのに少し時間を要した。
「あ、そうそう。聞きたい事があったの…サキちゃんのことで」
「彼女がどうかした?」
「夜中、病院で夢遊病が発病してないかと思って…」
「ああ…そういえば、彼女にはそんな症状があったね。
 いや、彼女にそういう症状がでたって報告は受けてないけど」
「そう…よかった」
「…うん」
会話を交わしている間、まともに彼の目を見ることができなかった。
彼は優しく、こちらを向いていたのに。
私は視線をそらしたままだった。
そしてまた、沈黙が二人を包んだ。
スバルは平静を保っていた。
それに比べて私は、緊張してしまってそれを隠すのに精一杯だった。
真っ白い頭の中でふと、さっきの光景がよぎった。
スバルとヨウと私の三人でいたときのこと。
ヨウが挑戦的な態度をとったわけで、私に非はないと思ったが、
彼が私の彼氏である以上、私にもその責任はあるような気がした。
初対面の人にあんな態度をとられたら、誰だって不快な気分になるだろう。
きっとスバルだって…。
次に沈黙を破ったのは私だった。
「…さっきは、ごめんね」
「え?さっきって?」
「フジサキさんが…スバルに嫌な態度をとって…」
「……」
スバルが一瞬止まってから答えた。
「なんで、ナツキが謝るの?」
「あ…そうなんだけど…」
私はなんと答えていいのかわからなかった。
「まぁ…確かに、俺に対して敵意を持っている感じだったよな…
 俺、あいつとは初対面…だよな?」
「たぶんそうだと思う。ヨウにはスバルの話をしたことないし…」
「そか…でも気にしなくていいからな」
「…うん、ありがと」
スバルの見せた優しい笑顔が、私の心を和らげた。
さっきまで、心の中にたちこめていた空気がはれていくのがわかった。
「あ、いたいた!アイジマ先生!」
突然、横から女性の声がした。
「こんな所にいたの?探したんだから…
 院長がお呼びですよ」
「あ、悪い」
女性は駆け寄って、スバルの前に立った。
白衣が視界の隅で見えたので、医者かと思い、その女性の顔を見ようとした。
その瞬間だった…
「あれ?ナツキ!?」
突然女性から声をかけられ驚いた。
確か私に医者の知り合いはいないはずだ。と疑問をもちながら、
その女性の顔をまじまじと見た。
どこかで見覚えのある顔を誰のものかと認識するまで時間を要した。
「…ユイナさん!?」
私はその人だとわかったと同時に思わず立ち上がってしまった。
そう、彼女は昨日この病院で知り合った『シマカワ ユイナ』だった。
顔色の悪い私にお茶をさしだし、初対面であるにもかかわらず話に花を咲かせた相手だ。
「まさかまた会えるとは思ってなかったよ!」
「私もです!」
二人は笑顔で再会できたことを喜んだ。
実際、会ったのは一度きりだったにもかかわらず、
古い友人に会った時のような親しさと懐かしさを覚えた。
「え…なんだよ。二人とも知り合いだったのか?」
状況が全くつかめていないスバルが当惑しながらいった。
「そうよ。そっちこそナツキと知り合いだったのね」
「ああ」
二人のやりとりは、ただの同僚とは思いにくかった。
「…私も驚きました。二人とも知り合いだったんですね」
私が言うと、ユイナさんが私の方をみていった。
「んー…まぁ同じ病院の医者だしね。それに、
 私はスバルの婚約者なんで」
「え?」
彼女がさらりといった一言は衝撃的なものだった。
「ね?スバル」
「…おまえ、余計なこと言わなくていいから」
スバルは否定せずに、少しあきれたようにいった。
「いいじゃない。事実なんだし」
と、ユイナさんがスバルの隣に座り、腕を組もうとした。
しかしスバルはすっと立ち上がり、不自然な様子もみせずにそれをかわした。
「院長室に行けばいいんだな」
そして私の肩を軽く叩き、「じゃまたな」と言ってその場を去ってしまった。
私は彼の後ろ姿をしばらく見つめていた。
「…つれないなぁ」
ユイナさんが溜息混じりに発した声で、はっと我に返った。
彼女を見ると、ベンチに座って足を組み、
ほおづえをつきながら遠くの方を眺めていた。
何を見ていたというわけではなかったと思う。
彼がいたという余韻にひたっているのであろう。
またしてもやられた…といった感じだった。
彼女は私の視線に気がつき、こちらを向いた。
「どう?またお話しない?」
ベンチを軽く叩き、彼女の隣に座るように促した。
「ええ」
私はためらいなく座った。
「あーあ」
彼女は両腕を伸ばし、まえにのびをした。
「いつもあんな感じなのよね。うまくかわされちゃうっていうかさ…
 まぁ彼ってべたべたするような人じゃないんだけど」
私は答えに困っていた。
「ナツキはなんでスバルと知り合いなの?」
彼女の突然の問いに、私はさらに困ってしまった。
「え…と、私がお見舞いにきている子の担当医なんです」
「ああ、この前話してくれたカウンセリングしてる子…だっけ?」
「はい」
「そっかぁ…でもそれだけじゃない感じがしたけど?」
「……」
するどい。
あんな短時間でわかるものだろうか…?
それとも、彼女はカマをかけてきているのだろうか…?
私は誤魔化そうとしたが、
全てを見抜いているような彼女の目に逆らえなかった。
それに、隠すようなことでもないと思った。
「実は…高校が一緒なんです…」
「え?そうなの?」
「はい。卒業以来会っていなかったんですけど、
 ここの病院で数年ぶりに再会したんです」
「へぇ…それはすごい偶然ね」
ユイナさんは感心したようにいった。
私はそれ以上自分からは話さなかった。
私との過去を知られてほしくない…きっとスバルがそう望んでいるであろうから。
こうして三人が面識があることだって気まずいことだと思うから。
「で?」
「え?」
「スバルとつきあってたの?」
「……」
私は固まってしまった。
彼女はどうしてこう、痛いところをついてくるのだろう。
「つきあってなんかいません。
 ただ仲が良かったグループの中に彼がいただけです」
べつにウソはついていない。
あの四人の中にスバルがいて、私と彼はつきあってなんかない。
「そうなんだぁ…」
彼女はやや納得していない部分を残していたようだったが、
それ以上はなにも言わなかった。
たとえ言われたとしても、これ以上なにも答えるつもりはないが。
「そういえばさ、ナツキは今彼氏いるの?」
「…いますけど」
「本当に!?ナツキの彼氏ってどんな人?見たいな〜」
私を尻目に、彼女ははしゃいでいた。
昨日、今日知り合った人間にここまで親しめるものか…?
しかし、不思議と彼女の親しみには好感がもてた。
きっとこれは彼女のもっている良さなのだろう。
「今度、ダブルデートしない?」
私は苦笑いをした。
こんな突発的なところも彼女のいいところなんだろう。
「え…ダブルデートって?」
「ナツキとナツキの彼と私とスバルで」
ユイナさんはにっと笑った。
それは困る。
微妙な顔合わせをしたあの二人を交えてダブルデートなんて…
雰囲気が重くなるというのはわかりきってる。
私は迷わずに答えた。
「それはダメです…」
「え?なんで?」
「なんで…って…」
「大丈夫だって、スバルには私から言っておくし。
 それにナツキの彼氏、見てみたいし」
ヨウがこの申し出を受け入れるだろうか…?
「まぁ、ナツキの彼氏さんが嫌だといえば仕方ないんだけど…」
ヨウが承諾するとは考えにくかった。
確かこういうのは苦手だったはず…
彼が承諾しなければ、この話を断ることができる。
そう思った私は、ユイナさんのすがるような目に負けてしまった。
「…わかりました。とりあえず、彼に話してみます」
「よし!じゃあ今度の日曜なんてどうかな?」
こうして話は進んでいった。
私は大方、この話は白紙に戻されるだろうと、ユイナさんに適当にあわせていた。
当日の予定を、彼女は楽しそうに話していた。
その表情をみていると、こっちまで楽しくなってきた。
「あ…と、私そろそろ時間だから戻らなくちゃ。
 ナツキの彼から返事もらったらメールちょうだい」
ユイナさんはそう言って胸ポケットからペンとメモをだし、
携帯番号とメールアドレスを記してから私に渡した。
「待ってるから。それじゃ」
ユイナさんは手をふりながら、笑顔でその場を去った。
楽しみにしている彼女には悪かったが、
私の頭の中ではこの計画は成立しないだろう…と、勝手に思い込んでいた。

 それから私は仕事場に戻った。
その日はカウンセリングの予約が二件あった。
私と同い歳くらいの女性と、小学生の子をもつ主婦だった。
私はいつも通りに彼女たちの話を聞き、カウンセリングをした。
そして、一日の仕事が無事終了した。
「ナツキ、一緒に帰らないか?」
ヨウも私と同じ時間に仕事が終わったので、一緒に帰宅することにした。
夕飯を食べていこうということになり、駅前のレストランに入った。
私たちが食事とお酒を味わい始めて、しばらくしてからのことだった。
「ナツキが悩んでるワケ…わかったよ」
ヨウは突然そう言った。
私は何のことだかさっぱり分からず、
「え?」と聞き返すことしかできなかった。
ヨウは私をじっと見つめ、少し黙っていた。
その視線が金縛りのようで、目すら動かすことができなかった。
ふっとヨウは顔の力を抜き、
視線を横にそらしてから軽く溜息をついた。
「ま、いいや…それより、今度の日曜にどっかいかない?」
ヨウが日曜と口にした瞬間、ユイナさんの話を思い出した。
「あ、そうだった…あのね、ヨウ。今度の日曜のことなんだけど…」
私はおそるおそる事情を話した。
それを聞いた彼の返答は、私の予想に反したものだった。
「べつに、俺はいいけど?」
彼はあっさりと承諾してしまった。
私は驚くしかなかった。
「え…いいの?」
「うん。面白そうだし」
彼は笑顔だった。
その笑顔に何が隠されているのか分からなかった。
スバルとのことを考えると、何かあるんじゃないかと胸騒ぎがした。
やはりユイナさんから話を受けた時、
はっきり断っておくべきだったと少し後悔した。
多少の憂鬱が入りながらも、
私は帰宅してからヨウが承諾したことをユイナさんにメールした。
彼女は嬉しそうにメールをすぐに返してきて、
スバルも承諾したことを告げてきた。
これで日曜の計画は白紙に戻ることなく、話はとんとん拍子に進んでいった。
不安を隠せずにいながらも、私はこういうのが初めてだったので、
不謹慎にも楽しみにしていた。


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