if…


 私たちは適当な西洋料理店を見つけ、そこで食事することにした。
店内の明かりはランプが中心になっていて、
それが落ちついた雰囲気をかもしだしていた。
メニューを広げ、ウェイターにいくつか注文をし、
まずはワインをいただくことにした。
「カンパーイ」
四人はグラスを酌み交した。
「あーおいしい。このワインは味が落ちついてるわ」
ユイナさんがいった。
私はワインがあまり好きではないのだが、これは結構いけた。
なんのワインだろ?と考えつつ、どうせ種類を聞いてもわからないだろうと、
ただワインを味わうだけにした。
サラダから始まり、注文したものが次々とテーブルに並ばれた。
ワインがまわり、ほどよい気分になり始めた四人は、
食もすすみ、会話も弾んだ。
といっても、ヨウとユイナさんの楽しそうな会話を、
スバルと私は黙って聞いていただけ…といった方が正しいかもしれない。
「え?二人は婚約してるんだ」
ヨウが感心した様子でいった。
「そうなんですよーっていっても、まだ医者として安定してないし、
 正式に結婚するのはもう少し落ちついてからってことになってるんですよ」
「いやぁそれにしたって、おめでとうございます」
ヨウが軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。ほら、スバルもお礼言いなよー」
ユイナさんの頬が赤くなっていた。ヨウも同じだ。
この二人の陽気さは、明らかに酔っ払ってるせいだ。
「おい、おまえ飲み過ぎだぞ」
ユイナさんの隣に座っていたスバルが彼女をなだめた。
「そんなことないよぉ。スバルこそ飲んでないんじゃないの?ホラ」
ユイナさんがスバルのグラスにワインを注ごうとした時、
彼は彼女の手を止めた。
「俺はもういいから」
その言葉にユイナさんは頬を膨らませた。
「あそう?じゃあフジサキさんは?」
「あ、いただきます」
ヨウは自分のグラスにワインを注いでもらった。
「ヨウ、少し飲みすぎじゃない?」
私がそう止めるのを聞かず、ヨウはグラスの中のワインを飲んだ。
「そんなことないよ。ナツキは?」
「私はいい」
「じゃあシマカワさん、もう一杯いただけます?」
「はいはい、どーぞ。てか、お酌するのはナツキの方がいいんじゃないですか?」
「いいんですって。気にしないでください。一緒に飲みましょうよ。
 シマカワさんにも注ぎますよ」
「あら、そう?じゃあ…」
この二人はお酒を飲むということに関して気が合うらしい。
私は黙って料理を口に運んでいた。
料理に舌つづみをうちながらふと思った。
ヨウとユイナさんがこんな仲の良いやりとりをしていたらまずいのではないかと。
ユイナさんは仮にもスバルの婚約者なワケで、
こんな光景を見ていておもしろいわけがない。
私はおそるおそる前に座っているスバルを見た。
しかし、彼はいたって冷静に食事をしていた。
二人のやりとりに加わろうという様子もなかった。
ただ淡々と皿の上にある料理を、ナイフとフォークを使い口に運ぶ。
その行為をゆっくりと繰り返していた。
そうだった…。彼は自分の感情を表にはださない。
たとえ、横の二人に不快を感じていたとしても、
それは彼の表情には決して表れないだろう。
安心して私が視線を手元にある皿に向けようとした時、
スバルがやや顔を上げてこちらを見た。
お互いの目があった。
彼がどう思って、何を考えているのか…その目からは見当がつかなかった。
私は視線をそらすことができなかった。
どうしようという不安が私にからんできた。
私は彼にどんな表情を向ければいいの?
その時だった。
スバルの眼差しがあたたかみをもった。
彼が笑顔であることに気づくのに、時間を少し要した。
スバルが笑ってる…私に笑いかけてくれてる。
それだけのことだったのに、胸の奥があつくなった。
私は笑い返した。
たぶん、ぎこちない笑顔になっていたと思う。
それからしばらくして、私たちは店をでた。
なんだかんだいって三時間近くいた気がする。
外に出るとあたりは真っ暗で、少し肌寒かった。
「じゃあまた。機会があればお会いしましょう」
「そうですね」
四人は駅まで一緒に歩き、
スバルとユイナさんとはそこで別れた。

 帰り道、ヨウは私を家まで送ってくれた。
久々に彼は飲みすぎていたので、自分一人でも帰れると丁重にお断りしたのだが、
私の言うことには耳をかさなかった。
やや千鳥足で隣を歩く彼が心配でしょうがなかった。
「ねぇ、大丈夫?」
私はヨウの顔を覗きながらいった。
「大丈夫だって」
彼はそう答えたが、その言葉は信用しがたいのもだった。
でもそれ以上何か言うようなことはしなかった。
私が何を言っても彼は耳を貸さないだろう。
残された手段は、一刻も早く私が家に着くこと。
そうしなければ、彼は自分の家への帰路につこうとしない。
私は半ば諦め、道をてくてく歩いた。
お互い何も言わず、黙ったまま、ただひたすら歩くだけだった。
時計を見ていなかったから、時間感覚はなかったけれど、
ずいぶんその状態が続いた感じがした。
ふと気がつくと、私の家の前まで来ていた。
私の家は一人暮らし用の五階建てマンションで、築年はそんなに経っていない。
まだ綺麗なままだ。
そして、私の空間が存在する部屋は三階にある。
ヨウと私は、マンションの入口で歩くのを止めた。
無言のままの空気がなんだか重くて、
私は逃げるようにマンションに入ろうとした。
「おくってくれてありがとう。じゃあまた」
そう言い残してその場を立ち去る…ハズだった。
歩きだした私の足は止まっていた。
ヨウには背中を向けたまま、私の手は彼の手の中にあった。
私はどうしていいのかわからず、おそるおそる彼の方に顔を向けた。
彼の顔はまだ酔いが抜けていない状態で、少し赤みをおびていた。
目は真剣だったが、とらえ方によってはすわっているようにも見えた。
コワイ…と、彼を思った時だった。
ヨウにつかまれた手を勢いよく引き寄せられ、
次の瞬間には彼の胸に顔をうずめ、彼の腕の中にいた。
「そんな恐ろしいものを見るような目で見るなよ」
彼は今にも消えてしまいそうな声をしながら、私の耳元でささやいた。
「そんなことない」と言おうとしたが、声にならなかった。
どのくらいの間だろう?
私は彼の腕の中にいたままだった。
壊れそうなくらい強く、でも優しさを感じられる彼の腕はとてもあつかった。
彼の体の力がふっと抜けたのと同時に、
私の力も抜けた。
彼は私の肩をつかみ、ゆっくり体を離した。
ヨウが私の目をじっと見つめる。
まるで心の奥まで見透かそうとするような目で。
「ヨウ…?」
彼は一瞬軽いため息をつき、視線を斜め下にそらした。
私の肩にあった右手を、自分の身に着けていたウェストポーチの中に入れた。
その中から取り出したものを、私の目の前にだした。
小さい、白い小箱だった。
「…あの二人に触発されたワケじゃないけど」
彼はバツが悪そうにいった。
私はその小さな白い箱を、両手で受け取った。
右手で静かにふたを開けた。
中には、ダイヤであろう小さな粒が光るシルバーの指輪があった。
私は目を見開き、指輪を見てから彼を見た。
「ずっと前から持ち歩いていたんだ。ただなかなか言いだせなくて…
 いくじねぇよな、俺」
彼は苦笑いをしながらいった。
私の左肩に置いたままの彼の左手が、私の肩から離れた。
「俺と…結婚してほしい」
頭の中がショートした。
いつか言われるだろうと予想していなかったわけじゃないけど、
その言葉を受けとめる準備は私にはできていなかった。
この三年間、彼との結婚が頭をチラつかせることもあった。
しかし、リアルなものとしてとらえることができなかった。
「…ナツキ?」
私の名を呼んだ彼の声で、頭の回路がやや修復された。
今、私は彼のプロポーズの返事をしなければならない。
――…俺と結婚してほしい…
私の中で何度もリフレインされる彼の言葉と、
私を見つめ続ける彼の目が、私の胸を熱くさせた。
「あの…」
言葉にするのが苦しかった。
「わた…し…」
苦しかった。
「今はまだ…受け取れない」
偽りのない言葉が、あなたを傷つける。
「どうして…?」
彼は私の答えをわかっていたかのように、
表情を変えずに聞いてきた。
「俺はナツキと結婚できたらなって考えていたよ。
 きみはそうじゃないの?」
彼がなげかける言葉に対して、私はつまってしまった。
肯定も、否定もできず、私は彼の顔を見続けるしかなかった。
彼は諦めたように大きなため息をついた。
「わかったよ…事が事だから無理強いはしない。
 でもどちらにしてもきちんと返事がほしい。
 きみの答えが決まるまで、それは持っていて」
小箱を包んでいた私の両手を、さらに彼の両手が包んだ。
私は視線を下にそらしたようなうなずきをした。
「じゃあ、おやすみ」
彼は静かに私から離れていく。
私は彼の姿が見えなくなった頃、
固まった体をゆっくりと動かすことができるようになった。
マンションの入口を抜け、エレベーターに乗り、三階のボタンを押した。
三階について、自分の部屋に入り、明かりをつけて、
頭真っ白のままベットに倒れこんだ。
ヨウニ プロポーズサレタ…
現実のことなのに、現実として受けとめることが、
私にはどうしてもできなかった。
考えることを頭が拒絶するかのように…
いつも間にかそのまま眠ってしまった。

 気がつくと、朝になっていた。
枕元にあった時計をみると6時だった。
今日は月曜日。会社に行かなければ…。
ベットからゆっくりと体を起こし、髪をかきあげた。
すべてが昨日のまま。
部屋に置かれているもの。
帰宅してからそのへんに放っておいた荷物。
自分の着ている服さえも。
私は無造作に置かれた昨日持っていた鞄を拾い上げ、
中から白い小箱を取り出した。
夢じゃなかった…。
中身もちゃんと指輪が入っている。
左手に小箱を持ったまま、右手の手のひらで右目をおおった。
涙があふれそうだった。
ヨウが好き。愛している。
彼は私にとって大切な人…なのに傷つけた。
なぜ?なぜ昨夜はすぐに返事ができなかったの?
自分のことなのに、自分がわからなかった。
私は小箱を机の二番目の引き出しにそっとしまった。
そしていつものように出勤するためにシャワーを浴び、
朝食をすませ、仕事にいく準備をした。

 出勤するのにこんなに不安で緊張するのは、
入社当時以来だった。
会社へ行くには家から駅まで歩き、5駅電車に乗り、
15分弱歩かなければならない。
それまでの足どりがこんなに重く感じるのは、
きっとヨウに会うことを恐れているから。
会社に行けば、嫌でも彼と顔をあわせなければならない。
できることなら会社を休みたい。
でも今日はサキちゃんがくることになっており、
他にも2、3人カウンセリングの予約が入っている。
となると、休むわけにはいかない。
何度も、何度もため息をついた。
プロポーズされるって…こんなにも気が重いものなんだろうか?
もっと気持ちが晴れ晴れして、
世界中の誰よりも幸せであると感じられるものではないのだろうか?
そんなもやもやした考えが、頭をもたげていた。
気が重いせいからか、いつもと同じ時間に家を出たはずなのに、
いつもより遅い出勤となってしまった。
うちの会社は三階建ての綺麗なつくりとなっている。
一階が受付、事務等になっていて、
二、三階がカウンセリングをおこなう部屋が数十部屋ある。
私は、手動になっているドアを開けた。
ドアを開けると、小さいロビーになっていて、受付がある。
普段はカウンセリングを受ける人が、その日の予約確認や次回予約をしたり、
時には処方された薬を受け取ったりする。
しかし、カウンセリングの受付時間まで受付は、
ここで働く人たちの出勤記録をつけることになっている。
「おはようございます」
私はカウンター越しに受付の人に声をかけた。
「カタヤマさん、おはようございます。
 あら、今日は遅いんですね」
私は苦笑いをするしかなかった。
受付で用を済ませ、右側にある廊下を歩いた。
しばらく歩いた先に事務室がある。
カウンセリングをおこなわない間はここで待機し、各自の仕事をする。
私はドアノブを握りしめ、思い切ってドアを開けた。
「おはようございます」
私が挨拶をすると、同僚たちから挨拶が返ってくる。
向き合って並ぶ机が六つかたまりで二つに分かれている。
私は入って右側にある机のかたまりの、
一番奥にある自分の机に向かった。
斜め前の席にはヨウが座っていた。
「おはよう」
彼はいつもと変わらない挨拶をしてきた。
「おはよう」
私はそう言うと同時に、肩から提げていた鞄を机の上に置いて座った。
お互い、それ以上言葉をかわさなかった。
それはいつものこと。
職場では、必要以上のことを話したりしない。
でも今日は、挨拶の余韻が重くて仕方がなかった。


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