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 午前中に中学生のカウンセリングを終え、昼食をとった後、
私は一階の受付に向かった。午後の三時ぐらいのことだった。
そこには受付をしているサキちゃんと母親がいた。
「こんにちは!ナツキおねえちゃん!」
私の姿に気がついたサキちゃんが、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「こんにちは、サキちゃん」
少女に挨拶をしてから、少し離れたところにいる母親と会釈を交わした。
母親が受付を済ませたのを確認してから、
私はカウンセリング室へ案内した。
たいてい、カウンセリングをおこなう部屋は二階の個室と決まっている。
個室はどれもさほど違いはない。
しいていえば、窓から見える外の景色が違うくらいだ。
いつものようにコの字型のソファーに座り、お茶菓子をテーブルの上に並べる。
そしてカウンセリングが始まる。
カウンセリングといっても、サキちゃんの日常生活を聞いたりすることが主である。
あくまで私は聞き手にまわる。
無理強いをして、少女のことを根掘り葉掘り聞かない。
「今度の土曜日、楽しみだねぇ!」
心から嬉しそうに笑うサキちゃん。
「そうだねー」
平静を装って私は答えた。
内心は緊張や不安でいっぱいだった。
サキちゃんは何に乗るとか、楽しそうに話し続けている。
曇った顔をしないように、私は必死にこらえた。
今度の土曜のことを彼には…ヨウには言っていない。
自分って…卑怯だな…そうつくづく思う。
彼に都合の悪いことは隠して、彼と対等に立とうとしない。
自己嫌悪。
サキちゃんの笑顔が天使のようにみえ、
私の心を幾分和らげてくれるようだった。
これじゃあどちらがカウンセリングを受けているのかわからなかった。

 サキちゃんのカウンセリングが終了し、
少女の夢遊病について母親に尋ねてみたところ、
退院して以来再発していないらしい。
原因は今だわかっていないものの、
とりあえず良い傾向に向かっていることを信じ、胸をなでおろした。
サキちゃんが帰り、私がロビーから事務室への廊下を歩いていると声をかけられた。
「カタヤマさん」
声のした方に振り返ると、ここで働くカウンセラーの女性が立っていた。
私より4、5歳上で、ここでの勤続年数も長いベテラン。
沈着冷静で、仕事をテキパキとこなす。
仕事仲間うちでは笑顔を決して見せないが、
カウンセリングの時は一変してとびきりの笑顔をみせる…らしい。
実際に見たと言う人は少ない。
そんな彼女を会社内では『二重人格者』として知られているが、
責任感が人一倍強く、そのためチーフという任についている。
とっつきにくく、恐れられている存在だが、
周囲から一目おかれ、敬遠されながらも信頼を得ている。
彼女がそのことを知っているかは別だが…。
「さっきお帰りになった女の子…『カワナカ サキ』さんだったかしら?
 あなたが担当している」
「あ、はい。そうです」
彼女の鋭い目つきが、私を捕らえる。
私の背中で鳥肌が小さく走った。
「あの…なにか…?」
私は震えそうな声を抑えながらいった。
「前々から感じていたのだけれど…
 あなたはカワナカさんの担当から外したほうがいいかしら?」
「え!?」
突然の衝撃で、頭の中が真っ白になった。
何を言われているのか理解できなかった。
私は必死に言葉を探した。
「…彼女のカウンセリングにあたって、何か問題でも?」
「あなたが担当していることは彼女のためにならない…と私は思っている」
「……」
心外だった。
確かに、私はまだまだ未熟だ。いたらない部分もあると思う。
でも私は私なりに、一生懸命取り組んできたつもりだ。
それなのに…それなのに…!
「…その理由はなんですか?」
私は震える唇を噛みしめて彼女にいった。
彼女は小さなため息にも、
鼻で私をあざ笑うかのようにも見えるしぐさをしてからいった。
「それが分からないなんて…と言いたいところだけど、
 この際はっきり言わせてもらうわ。」
そう言われて、心の中で思わず身構えてしまった。
「あなたは彼女と馴れ合いしすぎている。
 お互いにプライベートに入りすぎている。
 それがいけないと言っているわけじゃない。でも、
 時と場合によっては一線を引かなければいけないこともある。
 彼女は今、あなたに絶大な信頼を持っている。
 それはあなたの功績だと認めている。
 ただそれだけではいけない。それだけでは彼女は自立できない。
 あなたがしなければいけないことは、彼女が学校生活へ戻るのを導くこと。
 なのに現状は…あなたの存在がそれの妨げとなっている」
返す言葉がなかった。
「私の言っていること、わかるかしら?」
「…はい」
「すぐに担当を変えるとは言わないわ。
 でも今後そうなる可能性があることを忘れないで」
チーフは私にそう言い残し、私の横を通り過ぎていった。
その後、私はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
私の存在が…サキちゃんの妨げとなる…。
信じたくなかった。
しかし、実際にそうなのだ。それは私も薄々は感づいていた。
サキちゃんと私が親しくなりすぎるせいで、
彼女の自立を遅らせている…。
視界がぼやけた。
流れそうになった涙をこらえた。
ここで泣いて崩れたら、全てが崩れる。
今までのカウンセラーとしての少しの経験と少しの自信。
駄目。今ここで崩れてしまっては…。
泣いては駄目。
そうこらえていたけれど、
気がついたら化粧室に駆け込んでいた。
洗面所で水を流し、泣きたい気持ちを必死に抑えた。
職場では…ゼッタイニナイテハダメ…

 その日の晩に私は家でいっぱい泣いて、翌日はいつも通りに出社した。
そして何事もなかったかのように仕事をした。
今までと変わらない、平静を装っていた…つもりだった。
だが、彼には私のちょっとした変化を見抜かれてしまった。
「ナツキ、帰りに食事していかないか?」
プロポーズの返事のこともあって、私は躊躇したが、
彼は返事を強要するような目はしていなかった。
私が何か困っている時に心配してくれる、
「力になるよ」と訴えかかけるような目だった。
私は彼の申し出に承諾した。
そうして会社帰り、焼肉屋にいった。
私たちはカウンターの席に座った。
まずはお酒を注文し、メニューを見てどれを頼もうか話していると、
目の前に七輪が運ばれてきた。
ここは七輪で肉を焼くらしい。
ヨウが適当に注文をし、いくつかの皿がテーブルに並んだ。
お腹が減っていたので、食が進んだ。
気持ちが優れなくて、お酒が進んだ。
「ナツキ、今日は飲みすぎじゃ…」
「そんなことない」
とめるヨウに私は、ふてくされたようにいった。
「お酒で気を紛らわしても、コトは解決しないよ」
私はグラスをおいた。
「…心外だった」
「え?」
「そりゃ、私はまだまだ半人前だし経験も浅い。
 でも自分なりに頑張ってるつもり…だから、
 チーフにあんなこと言われるなんて心外だった」
私は隣にいるヨウの肩に顔をこすりつけた。
また泣きそうになった。
ヨウは黙って肩をかしてくれた。
それから何も言わずに、私の頭を優しくなでてくれた。
「ナツキは…よくやってるよ」
その静かなささやきで涙があふれた。
あとのことはあまり覚えていない。
すごい酔っ払ってしまった私を、
ヨウが支えられながら家まで送ってもらったのを、
微かに記憶しているくらいだ。

 「頭…いたい」
気がつくと自分のベットの中にいた。
頭を押さえながら、重たい体をゆっくり起こした。
薄暗い部屋の中で、体育座りの状態でしばらくうなっていた。
すると横から声がした。
「昨夜、飲みすぎたからだ」
とっさに声がする方を見ると、ヨウがベットの横に座っていた。
「ヨウ…?」
「おはよう」
「…おはよう」
なざここにヨウがいるのか、さっぱり覚えていなかった。
昨夜の記憶が断片的にしかない。
私が当惑していると、ヨウが事情を話し始めた。
「おまえ、すげー酔っ払ってさ、俺が家まで送ってったの。
 とりあえずベットに運んで、帰ろうとしたんだけど、
 おまえが俺の腕をしっかりつかんで離さないからさ。
 しばらくしたら離すかなと思ってたんだけど、
 俺もそのまま眠っちまったみたい」
「え!?うそ?ごめんね」
「いいって。それより頭平気か?仕事いける?」
「…う、うん。たぶん…」
「今、水と薬持ってきてやるよ。
 それ飲んだら軽くシャワーでも浴びれば?」
「うん」
「その間におかゆでもつくっといてやるよ」
「え、いいよ。大丈夫」
「いいからいいから」
ヨウは私に軽くキスをした。
彼が部屋を出て行こうとしたので、私は「ありがとう」といった。
ヨウはやや振り返って笑った。
ヨウは私によくしてくれる。
これ以上ないくらい…私にはもったいないくらい。
彼と結婚すれば、私は幸せになれる。
それがわかっていても結婚に踏み切れないのは…
私に歯止めをかけるものは…。
そう考えていたら、全身を鳥肌がはしった。
私は私自身をぎゅっと抱きしめた。

 ヨウから水と薬をもらい、自分の胃の中に流し込んだ。
それからヨウは台所で料理をし始め、私は脱衣所にいった。
来ていた服は昨日のままだった。
私は身に着けていたものを脱ぎ、軽くシャワーを浴びた。
水分を失った体が、潤されるようだった。
体に打ちつけてくるシャワーの感触が気持ちよかった。
私は10分もかからない程度のシャワーを浴び、そして洋服を身に着けた。
また後で着替えるのも面倒だったので、仕事に行く時の格好をした。
いつも出勤する時はスーツを着用する。
今日は白に近い水色のワイシャツにチャコールグレーのスーツにした。
台所にいくと、ヨウがテーブルに食事を並べていた。
「あ、大丈夫か?」
ヨウが私に気がついて、優しく微笑みかける。
彼も昨日の格好のままだった。
黒のスーツに真っ白いワイシャツ。
料理するのに邪魔だったのだろうか。
上着を脱いで、腕まくりしていた。
そんな彼の姿が愛らしくて、思わず笑みがこぼれそうだった。
「おかゆにあとスープつくったんだけ…ど…」
ヨウがスープ鍋をテーブルに置きながら言い終わらないうちに、
私はヨウに抱きついた。
何かの衝動が、私をこのような行動にうつした。
私は彼の首まわりに腕をまわした。
彼は私の体まわりに腕をまわした。
背中に、彼の手を感じる。
胸がすごく熱くて、鼓動が速さを増して、今にも壊れそう…むしろ、
彼をどうにかしてしまいたい衝動に駆られた。
呼吸ができなくなるくらい、お互いを抱きしめあった。
そして、さっきとは違う、深く長いキスをした。
このまま何も考えず、ただ彼のことを考えていたかった。
と、いきなり彼が私から体を離した。
「…ヨウ?」
「あ…いや、ごめん。
 朝っぱらから何やってんだろうな、俺」
ヨウは手で口を押さえていた。
「悪い…なんか…」
「え…私の方こそ…いいのに、そんな気にしなくて」
「いや、まじ…今日仕事にならなくなるから…」
彼は腕まくりしていた袖をもとに戻し、上着をはおった。
「じゃ、俺、家に帰るわ」
「え…うちでシャワー浴びていけばいいのに…
 スーツも前に置いてったのクリーニングにだしてあるし」
「いや、時間あるしさ。
 家に必要な書類を取りに行かなきゃだし」
現在の時刻は6時15分だった。
確かにこの時間なら一度帰る余裕はある。
私はこれ以上彼を引き止めるのをやめた。
「うん…わかった」
私は玄関まで彼を見送った。
「じゃ、またあとで」
「ん…」
ドアが閉まる鈍る音がした。
私はリビングに戻り、椅子に座った。
ヨウが用意してくれたおかゆを口にした。
空腹だったので、温かいものが喉をつたい、
胃に落ちていくのをしっかり感じることができた。
おいしかった。
ふいに視界がぼやけた。
おかゆのあたたかさが、私の心を和らげた。
なぜだかわからないけど、涙がとまらなかった。
ヨウに抱かれた感触が体にまだ残っていた。
私はまた自分自身を抱きしめた。

 その日から、私は以前にも増して仕事に打ち込んだ。
チーフの言葉がとても頭にきて、私の意欲を半減させたけれど、
私はもう落胆するのをやめて、逆にバネにすることにした。
サキちゃんからの担当を外されないように。
早く一人前として仕事ができるように、私は必死だった。
そうしているうちに、あっという間に一週間が過ぎた。
すっかり忘れていた問題があった。
心の準備がままならぬまま、土曜となってしまった。

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