果ての記憶


 次の日の午後、昼食を食べ終わった私たちは水着に着替え、
海水浴を楽しむこととなった。
桟橋を渡り、ロッジから少し離れた砂浜まで四人はやってきた。
今日もよく晴れていて、雲一つない、真っ青な気持ちの良い日だった。
が、私の心は朝からいまいち晴れ渡らず、なんだか落ち着かなかった。
というのも、昨夜のゆりなとの話がどうもひっかかっていたからだ。
あの話のせいで、和彦のことを変に意識してしまって、
妙にぎくしゃくしてしまった。
事情を知らない彼は、突然私の態度がおかしくなってしまい、
さぞかし不思議に思っていることであろう。
そんな気分を紛らわそうと、海水浴を堪能しようと思っていた。
しかし、砂浜を歩いているとだんだん妙な胸騒ぎに襲われて、
足元がおぼつかなかった。
今までに味わったこともないような、
吐き気と眩暈のような感覚にじわじわと体がむしばまれていった。
これはきっと、太陽の光が何も遮られずに照り付けている夏の暑さのせいだと思い、
たいして気にもとめなかった。が、確実に体はだるさを訴えていた。
そんな私の変化には誰も気がつかないまま、いつも先頭をきる透が今回も同様に、
一番乗りに海へ入る。それに続いて和彦、ゆりなも行く。
「うひゃー、気持ちいい!」
静かな波音に、三人のはしゃぐ声が混ざる。
「サヤも早くおいでよー!」
 ゆりなが大きな手を振って呼んでいる。
「う・・・うん」
私は、おそらく向こうには聞こえていないくらいの小さな声で答える。
うまく声がでなかったのだ。
サンダルを脱いで、太陽で焼けて今にも足の裏が焼けどしてしまいそうな砂浜をひたひたと歩いた。
足が海に使った瞬間、頭をぐしゃりと握り潰されたような感覚が突然、私を襲った。
心なしか、呼吸するのにも息苦しかった。
その場から一歩も動けなくなって、私は口を両手で押さえた。
太陽が照りつけてこんなにも暑いのにも関わらず、寒気がして、
背筋をいくつもの鳥肌が電流のように走った。
私の異変を察したのか、和彦が一人、私の方へと駆け寄ってきた。
「どうした?」
彼が心配そうに私の顔を覗きこんできた。私は口を押さえたまま、
首を力いっぱい左右に振った。そして渾身の力を振り絞って、海から足を出した。
声がうまくでない状態だったが、この場を離れたい一心で、私は吐き捨てるように言った。
「な、なんでもない。なんかちょっと、気分が悪くなったからロッジに戻って休んでる」
「俺もついていこうか?」
「ありがとう。でも一人で平気だから」
私はサンダルを履いて、逃げるようにしてその場を去った。


 砂浜を一人歩き、ロッジに着く頃には幾分調子が良くなっていた。
桟橋を渡り、ロッジに戻ろうとしたが、三人がいる方とは逆の浜辺をこのまま歩いていくことにした。
押し寄せては引いていく、たえまない波を聞きながら、ぼんやりと考えていた。
私はべつに水恐怖症なわけではない。これまで夏になればプールに泳ぎに行ったりしていた。
そこでは普通だった。
なのに、さっき海に入ろうとした時、恐くてたまらなくなったのだ。
足が海につかった途端、まるで底なし沼に入ってしまったような、
そのまま引き込まれてしまいそうな感覚に陥った。
海が恐い。
そうシグナルが点滅していた。なぜ・・・なぜ、私は海に入ることが恐いの?
ここに来てから、何か心がざわめいてる。
今朝から感じているこの胸の重さは、和彦の件についてだけではない。
その理由はもっと別にあるのかもしれない。
その謎をつきとめるようにして、海の方へと体を向けた。
そのまま突き進んで、体がぞわぞわと海に拒否しているのを感じながら、海に足をつけた。
やはり、さっきと同じように体が反応した。
恐くて、恐くて・・・何が恐いのかわからなかったから余計に恐くなった。
ところが逆に、その恐怖の正体をつかめないことに苛立ちを覚え、
腹立たしく思った。
ヤケになって、ばしゃばしゃと無我夢中で海に入っていった。
海が腰のあたりにまで浸かる頃、何かの糸がぷつん。と切れて我に返った。
ぐらり・・・と頭が重くなり、全身の力が抜けていった。
そのまま私は、海に飲み込まれてしまった。
意識が薄れていくのがわかった。気泡が海に溶けていく音だけを聞いていた。
私は何の抵抗もなく、そのまま身を任せていた。
すると次の瞬間、私は大きな手を感じた。勢いよく海から引き上げられ、
私は目を手で拭いながらむせ返った。
「大丈夫か!?」
目を開けると、そこには知らない男の人の顔があって、
私はその人の腕に抱きかかえられていた。
「大丈夫です」と答えようと髪を掻き分けると、その人の顔つきが変わった。
「・・・サヤ?」
それは確かに自分の名前であったが、私はその人が誰なのかわからなかった。
最初は逆光で顔が見えにくかったが、体を起こし、その人と向き合うと顔がはっきりとした。
茶色がかった黒髪に、日に焼けた肌の私と同じ歳くらいの男性。
改めて彼をまじまじと見たが、やはりわからなかった。
私はこの男性を知らない。
「笠原サヤ・・・なんだろ?」
なのにどうしてこの人は、私を知っているのだろう?
私は戸惑いながら、彼に疑問を投げかけた。
「確かにそうだけど・・・あなたは誰?」
「え・・・」
 私の一言に、彼は一瞬固まる。
「覚えて・・・ないのか?」
 静かな声の中にも、動揺が見え隠れした。
「五歳の時、この海で・・・」
「サヤー!!」
彼の言葉を遮り、私の名を呼ぶ声がする方を見た。向こうの砂浜に、和彦がいた。
彼は勢いよく海に入り、波を掻き分けながら私のところへやってきた。
「ロッジにいなかったから探したよ。・・・この人は?」
和彦は男性のことを睨みつけるようにして見た。
「あ・・・と、私が溺れかけたところを助けてくれたの」
私は、この人のことについてなんと言えばいいのかわからず、
曖昧に濁してしまった。
「溺れかけたって・・・やっぱりロッジに戻って休んだ方がいいって」
和彦はそういうと私の腕を引っ張り、砂浜へと向かい始めた。
私は海に取り残された男性を見つめながら何か言おうとしたが、
言葉がつまって何も言えなかった。
ロッジに戻る途中、和彦が私にタオルをかけてくれた。
「ありがとう」
「あれ?この傷・・・」
彼は私の背中に触れながら言った。
私の背中には、ひっかかれたような二本の傷が斜めに走っている。長くて大きな傷。
それがいつ、どこで負ってしまったものなのかは覚えていない。
そして不思議なことに、その傷の線は途中でぷっつりと切れてしまっている。
そのことに不自然さを感じながらも、それがどうしてなのかもわからない。
「・・・小さい頃に怪我をして、残ってしまったの」
私はそれ以上何も言わなかった。というより、説明のしようがなかった。
口を堅く閉ざし、その話題にはもう触れて欲しくないという意思表示を和彦に表した。


 「先にシャワー浴びなよ。そしたら部屋でゆっくり休むといいよ」
ロッジに戻ると和彦がそう言ったので、私は彼の言葉に素直に甘えた。
シャワーのお湯で冷えた体を温め、ベッドにつくと、私はぐっすりと眠りについてしまった。






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