果ての記憶


 目を覚ますと、部屋の中も窓の外も真っ暗だった。
 ゆっくりと体を起こして近くにあった携帯を手にし、
時間を確認すると二十時だった。
隣のベッドを見たが、ゆりなはいなかった。
部屋の沈黙を冷たく感じ、とてつもない孤独感に駆られた。
もう少し眠っていたい気もしたが、
それよりも一人でいたくなかったので、ドアを開けて部屋を出た。
 リビングにはあとの三人がいて、あたたかい空気が私を迎えてくれると思ったが、
そこにいたのは和彦だけだった。
「あ、起きた?大丈夫?」
 彼は私に柔らかな笑顔を投げかける。
「うん、大丈夫。ありがとう」
 和彦は読んでいた雑誌と閉じ、ソファーから立ち上がった。
「あの二人なら砂浜を散歩してくるって。
メシ、残ってるけど、食う?カレーだけど」
「うん、食べたい」
 私がそう言うと、「了解、ちょっと座って待ってな」と彼は快く答え、
私をソファーに座らせた。
 彼が台所に向かい、カレーを温め直す。
しばらくするといい匂いがしてきて、自分のお腹がすいていることに気づく。
「おまたせ」
 私の前に湯気のたったカレーと、よく冷えていそうな水が置かれた。
「ありがとう」
 私は水を一口飲んでから、カレーを食べ始めた。
目の前に和彦が座り、缶ビールを開けて氷の入ったグラスに注いだ。
 ビールを注ぐ音、スプーンとお皿が重なり合う音。
微かに波音が聞こえるくらい、リビングは沈黙に包まれていた。
 二人でいることに変な緊張感を覚え、余計に口を重くさせた。
「気分は、どう?」
「うん、もう平気」
 ぽつり、ぽつりと言葉が浮かんでは消えていく。
会話が続かない。なんだかとても、気まずい心持ちになってしまった。
どうしていいのかわからなくなり、とっととカレーを食べ終えて、
部屋に戻ろうと自分を急かした。
カレーを流し込むように食べたので、味わった気にはなれなかった。
お皿をカラにしてしまうと、
私は早々と立ち上がって使った食器類を洗い、トイレに行った。
それから「もう寝るね」と和彦に言い残し、部屋のドアノブに手をかけた。
「気分悪くなったりしたら無理しないで言って。おやすみ」
 和彦はソファーの上で片足を抱え、リラックスした姿勢で私にそう言った。
さっきのビールはまだ、グラスに残ったままだった。
「ありがとう。おやすみ」
 私は心を込めて、彼に言葉を残した。
 部屋は依然として暗かった。
でもさっきより孤独は感じない。
ベッドに入ったが、すぐには眠れそうになかったので、
シーツに包んだ膝を抱え、窓の外を見た。
海と空が見えた。というより、境界線がわからなかったので、
暗闇の空間がそこにはできあがっていた。
 しかし、空は晴れていたので、星が二つ、三つ見えた。
空気が澄んでいるように感じる。
 砂浜を歩きたくなったが、部屋を出たらリビングにまだ和彦がいる気がしたので、
鉢合わせはしたくなかった。
彼のことは嫌いじゃないけど、なんだか落ち着かなくなってしまう。
 ふと、昼間に会った彼のことを思い出した。
 あの人は人違いなんかじゃなく、間違いなく私のことを知っていた。
でも、私にとっては面識の無い人だった。
思い出そうとしても、何も浮かんでこなかった。
 空白の時間を辿るけど、欠落したものはそう簡単にはとり戻せない。
だからといって諦めきれない。ささくれのように、無意識に気になる。
 彼は、一体誰?
 迷宮に迷い込んだ私は頭を使いすぎて、いつの間にか眠り込んでしまった。
人間、すごいものだ。
昼間にあれだけ寝ても、夜にまた眠れるのだ。

 ふっと、意識が起きる。
気持ちの良い目覚めで、頭もスッキリした。
隣のベッドを見ると、ゆりなは未だにいなかった。
 窓の外を見ると空が白み始め、海が徐々に色を取り戻し始めていた。
 私はベッドから起き、大きな伸びをした。
それから砂浜でも歩いて、早朝散歩をすることに決めた。
 ドアをそっと開けると、ソファーに毛布をかけて眠っている和彦がいた。
テーブルの上には、昨夜のビールがそのままになっていた。
そのまま寝てしまったのだろうか?
 私は彼を起こさないように、そっとロッジを出た。
 桟橋を渡って砂浜に向かっていると、
潮の香りをのせたすがすがしい風が吹きつけてきた。
私は乱れる髪を押さえながら、覚めるような青い空と、
形がはっきりしている立体的な白い雲を眺めた。
 思わず大きく息を吸い込むと、朝の新鮮な空気が体いっぱいに広がった。
 桟橋から砂浜に足が着くと、月面着陸ってこんな感じかな?なんて思ってしまった。
まるで違う世界に降り立った気分になったのだ。
 当てもなく、砂浜を歩く。
ザザーンと、押しては引いていく波の音が、頭に、私に、何かを語りかけてくるようだった。
 地平線を見ていると、自分の位置が定まらなくなってくる。
ぼんやりしてくる。
目の前に広がる一面の海が、私の周りを取り囲んで、飲み込まれてしまいそうだった。
 ふと、何かの視線を感じ、一気にこっちの世界に戻ってくる。
顔を左に向けると、そこには昨日、私を助けてくれた男性がいた。
今度は体全体を左に向け、彼全身を目に入れる。
白い半袖のTシャツに、ベージュの短パン。
彼は親しみを込めた笑顔を私に向けてから、「おはよう」と言った。
私は挨拶し返したが、潮風のせいで喉が乾燥してしまって、かすれた声しか出せなかった。
二人の間に沈黙がよぎる。しかし、波音は止まることを知らない。
「・・・昨日は、助けてくれてありがとうございました」
「体は平気?」
「はい、よく寝ましたから」
 彼の真っ直ぐで優しい瞳が、私の心をくすぐらせたので、私は少し視線を落とした。
すると目にとまったのは彼の右腕にある傷だった。
よくは見えなかったが、腕の外側についている大きな古傷。
一瞬、それに目を奪われてしまっていたことを隠すようにして、彼に声をかけた。
「あの、この辺に住んでいるんですか?」
「いや、夏休みだからこっちに来てるだけ。向こうに、俺の家の別荘があるんだ」
 彼は海とは反対の、木々が生い茂った遠くの方を指しながら続けて言った。
「なんで?」
 彼は首をかしげて、柔らかに問いかけた。
「あの・・・私のこと、知っているみたいだったから」
 語尾になるにつれ、私の声は弱々しくなっていった。
「あぁ、なるほどね」
 彼を見ると、納得したように笑った。
「そっか・・・そうだよなぁ」なんて、
彼は腕を組みながら一人でぶつぶつ何かを言っていた。
「俺の名前は橋崎海斗。
きみとは五歳の時、この海で会ったことがあるんだ」
「えっ!?そうなんですか?」
「うん。それで一緒に遊んだりしたんだけど・・・でも覚えてないかもしれないな」
 私は驚いて真っ白になった頭の中を棚の中のものを一気にひっぱりだすようにしたが、
彼にまつわる記憶は何もでてこなかった。
「ごめんなさい・・・覚えてないです」
「うん、しょうがないよ。
まぁでも、またこうやって会えたのも何かの縁だし、改めてよろしくな」
 彼、橋崎海斗は、くったくのない笑顔で私の目の前に手をだし、握手を求めた。
 この人はさっきから笑顔を絶やさない。私もつられて笑いながら、右の手をさしだした。
彼がぎゅっと私の手を握る。
なんだか、胸の奥がきゅうっと苦しくなった。
 彼が、何かを私に伝えようとしているのを感じた。
「いつまでここにいるの?」
「明日のお昼には、ここを発ってしまうの」
「そか、じゃあそんなにいられないんだ」
 彼は少し寂しそうな表情をしながら、私の手をするりとほどいた。
べつに何か悪いことをしたわけではないが、なぜか罪悪感に駆られてしまった。
 そんな想いからか、私はある提案を彼に持ち出した。
「あ・・・ねぇ、今夜は暇かな?」
「え?」
「あのね、夜に皆で花火をすることになってるの。よかったら一緒にどうかな?」
私が食い入るように言ってしまったため、彼は少しあっけにとられていた。
「・・・でも、俺なんかが入って平気なの?」
「うん、一人くらい大丈夫だって!皆でパァッとやる方が、絶対楽しいと思うし」
 彼は、右手で軽く頭をかきながら一息ついた。
「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」
「よかった!じゃあ今夜、またこの浜辺で」
「うん」
 こうして、私たちは約束を交わして別れた。







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