果ての記憶
ロッジに戻り、そっとドアを開けた。
リビングにはまだ和彦がさっきのままでソファーに眠っていたが、
私の気配に気づいて目をこすりながら体をゆっくりと起こした。
「あれ・・・どっか行ってたの?」
「ちょっと散歩にね。・・・昨夜、そのまま寝ちゃったの?」
散歩してきたことについてあまりふれられたくなかったので、話題をすぐにそらした。
「いや、なんかサヤの看病しろってうまいこと言われて、
アイツらはそっちの部屋で休んだんだ・・・
でもサヤが具合悪いのに一緒の部屋で寝るわけにもいかないから、ここで休んだってわけ」
和彦は、また目をこすりながら大きなあくびをした。
「え・・・そうだったの?ごめんね」
「ううん、大丈夫だよ」
彼に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになり、
私がどうしていいのか固まっていると、手前の部屋のドアが開いた。
「あ、おはよう!」
ゆりなと透が、すがすがしく部屋からでてきたのだった。
「サヤ、具合はどう?」
「うん、いっぱい寝たから・・・」
彼女は何も知らない。という笑顔を向けてくる。
「腹減った。朝飯にしよう」
透はそう言いながら、キッチンに向かった。
そして四人で仕度をし、静かな朝食の時間を向かえた。
午前中はリビングで話したり、のんびりしていたら時間はあっという間に過ぎた。
少し早めの昼食をとり、また海に泳ぎにいこうということになった。が、私は遠慮した。
「また具合が悪くなったりしたらいけないから、部屋で休んでてもいいかな?
だから三人で楽しんできてよ」
もちろん、私の言ったことに素直に賛成するものはいなかった。
「じゃあ海はやめて、別のことでも・・・」
「いや、でもせっかく海に来たんだからもったいないって。
他にするっていっても特になさそうだしさ、気にせず行ってきて」
三人はなかなか納得しなかったが、ついには私に折れた。という感じになった。
「ごめんね。行ってくるよ」
ゆりなが申し訳なさそうにそう言い残し、
一番最後にロッジを出た。私は笑顔で手を振りながら三人を見送った。
ドアが閉まると、私は部屋を見渡しながら背伸びをした。
「さて・・・と、何をしようかな」
私の声は、寂しいリビングにすぐにかき消されてしまった。
何をしようかしばし考えたが、ここには海以外に本当に何もなく、
結局私は部屋のベッドで休む他なかった。
真っ白いシーツの上に大の字になって仰向けになっていると、
海原に浮かんでいるようだった。
霧が出てきて、視界がぼんやりしてくる。
目を開けているのか、閉じているのか、わからなくなってくる。
自分が今、どこにいるのかさえも・・・。
ふと、脳裏に浮かんできたのは、さっきの彼のこと。
橋崎海斗・・・名前を聞いても思い出せなかった。
いくら幼い時に会ったからとはいえ、その名前にピンとこないのはおかしい。
私の記憶は、かすりもしない。
だいたい、私は五歳の時にこの海に来た覚えすらない。
両親も何も言っていなかったし・・・と、そこであることを思い出した。
今回のこの旅行、両親はあまり良い顔をしていなかった。
それと過去のことが、何か関係しているのかもしれないと考えを巡らせたが、
もととなる材料を持ち合わせていない私に考えをあれこれ巡らすのは続行不可能だった。
ついに頭がオーバーワークし、電源をオフしたかのようにぷっつりと切れてしまった。
静寂の中、私は現実と夢の境を行ったり来たり繰り返していた。
重い頭と体を今に馴染ませるのは相当な労力を要したが、
私は起きなければいけなかった。
部屋の外から何か物音がしたからだ。
そっとドアを開け、おそるおそる顔を出してみると、
奥のキッチンからカタンという物音がした。
その姿を確認しようと私が部屋の外へと出てみると、
誰かが冷蔵庫のドアに手をかけ、中をあさっていた。
缶コーラを取り出すと、パタンとドアを閉めた。
その人は、和彦だった。
黒の短パンに白いTシャツ。
お風呂あがりなのか、首からタオルをかけ、髪は濡れていた。
彼は缶のプルを開けてソファーに向かい、
缶を飲もうと視線をあげた時に、ようやく呆然と立ちつくす私に気がついた。
「びっくりした・・・いたのか」
「あれ?一人で帰ってきたの?」
リビングに、彼と私以外の人の気配を感じなかった。
「あぁ、あの二人に俺一人っていうのもどうかと思ったし、なんとなく疲れたから」
彼はそう言いながらソファーに座った。
「一人でつまらなかっただろ?何してた?」
その一言に、私を気遣って他の二人より早く引き上げたのかもしれない。
という、彼の心が窺えた気がした。
「あ、うん。部屋で寝てた」
私は答えながら彼の目の前のソファーに座った。
しかし座ったはいいが、何を話そうか話題がすんなり浮かばなくて、
またしても変に緊張してしまった。
目の前に座ってしまったことを、少し後悔した。
「今夜の夕飯・・・」
と、和彦が言いかけた途端、私の心臓が飛び上がった。
「またバーベキューでいいかな?さっき冷蔵庫を見たら野菜と肉がまだ結構残ってたからさ。
あと麺もあったから適当に切って、焼きそばにして、
明日の朝食分は残しておいてその他は全部使い切っちゃおう」
彼はそう言い終わると勢いよく立ち上がり、
伸びをしながら「さぁて、じゃあ野菜を切るかなぁ」と呟きながらキッチンに向かった。
「私も手伝うよ」
慌てて私も立ち上がり、彼のあとを追った。
とりあえず、残っている野菜の皮をむいて、
適当な大きさに切るという作業に私たちはとりかかった。
黙々とキッチンに立って並んでいたので、二人の間にまた重たい沈黙が訪れた。
和彦が立っている側の左半身だけが、ピリピリとしてしまった。
彼の様子を窺うように、私はおそるおそる見上げた。
和彦は真剣な目と慣れた手つきで、にんじんの皮をむいていた。
あまりにも綺麗に、且つ早く皮むきをしているので思わず見入ってしまった。
その視線に気がついて、和彦がこっちを見てきた。
「なに?どうかした?」
「ううん、あの、皮むきがすごいうまいなぁって思って・・・」
私は慌てながら続けた。
「私、すごく不器用だから尊敬する」
私のその不器用さは、皮の残骸が物語っていた。
ひとむきではむけずにきれぎれになったり、皮より実の方が分厚くなっていたり。
ちょっと恥ずかしくなった。
そんな私を和彦はにっこりと笑って、励ますようにして言った。
「俺は一人暮らししてるから嫌でも慣れたっていうか・・・
サヤもいっぱい料理すればこれから慣れていくだろうし」
左手ににんじん、右手に包丁を手にしている姿が妙にさまになっている和彦。
「焦らないで、ゆっくりやってこ?」
にっこりと微笑みかける彼に言われ、納得というか、自分にもできそうな気になってきた。
私って単純だなぁ。なんて多少の苦笑を交えながら。
それから和彦が皮むきするのを近くで見せてもらいながら、
見様見真似で私も同じようにやった。
ぎこちないながらも試行錯誤でやっていくうちに、ほんの少しの間で上達した気がした。
本当に少しだけれど、最初にむいたものと比べると、幾分マシになっているようだった。
「なんだか、楽しいね!こうやって皮むいたりするの」
「・・・」
私の言葉に和彦が黙る。
何かまずいことを言ってしまったかと、額から汗が流れ落ちてきそうだった。
「どうしたの?」
彼は手の甲を口もとにもっていく。
最初はわからなかったが、どうやら笑うのを隠しているつもりだったらしい。
「いや、ごめん。サヤがあんまりにも満面の笑みで言うから、
なんだかかわいらしくってさ・・・」
「えっ!?」
赤面してしまう彼の言葉に、思わず動揺する。
「本当に楽しいんだなっていうのが伝わってきたよ。
何をするのにも、その気持ちが大事だからな」
和彦はそう言いながら両手を洗い、タオルで拭いた。
そして私の頭をなでた。
「これからもその意気で頑張れ」
大きくて、あたたかな手だった。
霧がはれていくように、ギクシャクしてきた二人の空気が消えていった。
いびつな形と端麗に切られた野菜は、その夜、
鉄板の上でいい音をだしながらいい色に焼けていった。
もちろん前者は私が、後者は和彦が切ったものだ。
焼けたものを箸で摘み、自分が切ったものだとわかると力の抜けた笑いを浮かべながら口にはこんだ。
でも自分で切ったせいか愛着がわき、食するのが嬉しくなった。
皆も海で泳ぎ、お腹がかなり減っていたらしく、やや多めにあった食料は完食された。
後片付けをして砂浜で花火をしにいこうと準備し始めた時、
私は海斗を誘っていたことを思い出した。
「あの、花火に私の友達を一人、誘っているんだけど・・・」
「え?サヤ、こっちに友達いたの?」
「うん、ちょっとね・・・。砂浜で待っててもらうように言ってあるんだけど」
「じゃあ早く行こっか」
四人はバケツと大量の花火を手分けして持ち、桟橋を渡った。
砂浜に着くとあたりが暗くて海斗がいるか探すのに苦労したが、
向こうの方に座っている人影が見えたので、もしやと近づきながら彼の名前を呼んだ。
するとその声に反応して立ち上がり、こちらにやってきた。
その人は、確かに海斗だった。
「皆、紹介するね。橋崎海斗さんです」
私が彼を皆の輪の中に連れていくと一瞬、空気のひずみが見えた。
「あ、初めまして。ゆりなです」
ゆりなに続いて透、和彦が自己紹介している間、
彼女にひっぱられて三人と少し離れた所に連れていかれた。
「あんた、何考えてるの?男連れてきて、どういうつもり?
和彦が嫌な気分になるってわかっててワザと?」
ゆりなが威勢良く、小声で私に尋問してくるので負けずに反論した。
「ち、違うよ!私はただ彼が一人だったみたいだし、助けてもらったお礼にって・・・!
皆で楽しんだ方がいいでしょ?」
「・・・あっそう」
ゆりなは眉をひそめながら、掴んでいた私の腕を放した。
そして両手を腰にあててから大きなため息をついて言った。
「しょうがないっか。今さら帰れとも言えないし・・・」
「おーい、ゆりな!サヤ!花火、始めるぞ!」
向こうから透が花火を片手に振りながら私たちを呼んだ。
「行こう!」
笑顔でゆりなが私の手を取り、三人の所に走っていった。