黒き夢の中で


 駅の改札付近、私は一人で立っていた。
待ち合わせしたのは三時半であったが、
時間になっても約束を交わした相手は姿を見せなかった。
すっぽかされたのかと、
一緒に映画を見ようだなんて冗談だったのかと、
行き交う人々を目にしながら不安になった。
電車が到着し、改札を通る人が一気に増えるが、
皆見知らぬ人ばかりであった。
先程メールをしたが、十分経っても返事はなかった。
わざわざ四限をサボってきて、朝から楽しみにしていたのに…。
ため息ばかりがでてきて、諦めが私を襲った。
映画は四時からで、ここから映画館までは十分ちょいはかかるのに、
待ち合わせから二十分経った今でも、
私の目の前にはその人は現れなかった。
再び電車が到着し、たくさんの人が改札を通った。
人がまばらになり、そして誰もいなくなった…と思ったが、
改札から出ずに携帯をいじっている一人の男性を見つけた。
こげ茶色の髪に、黒の薄いジャケット。
少しだぼだぼのデニムのズボン。
その人は私の視線の気づき、
こちらを向いてから改札を出てきた。
「遅かったから来ないのかと思ったよ」
私は彼に近づいて言った。
「悪い、引越しの準備に手間取った」
彼は謝ってきたが、心底悪びれている様子ではなかった。
「早く行こ。映画、始まっちゃう」
二人は急ぎ足で映画館に向かった。

 彼――…明宏とは、大学受験のために通っていた塾で知り合った。
なんらかのきっかけで仲良くなり、自然と集まり、
一緒によくいるようになった私を含めた五人のグループの中に彼はいた。
塾内でのおしゃべり。
授業のあい間にコンビニに行っての買い出し。
五人で一緒に何かしている時間は、素敵なひとときだった。
大切な友人たちであった。
受験が近くなり、お互いを励ますように頑張った。
不安と緊張で押しつぶされそうになった私を、
特に支えてくれたのは明宏だった。
それまでは友達を介してでしか話したことがなく、
ものすごく仲が良かったわけではなかった。
初めて二人きりで話したのは、
冬も深まった自習室でのことだった。
めずらしく他には誰もいなかった。
明宏と私だけが自習室の机に向かい、
しばらくしてから言葉を交わした。
単にお互いの進路の話をしただけだったのだけれど、
すごい話しこんでしまった。
といっても、私が一方的に話しているという感じだった。
私は謝った。
「ごめんね、勉強の邪魔して」
すると、彼はこう言った。
「いや、勉強できないのはそっちも同じじゃん?」
確かに…。
そんな彼の言葉に甘え、結局一時間はお喋りをしていた。
こうして私たちは仲良くなり、普通に話すようになった。

 数日後、明宏からアドレスを教えられ、私のも教えた。
しかし、こちらからメールする用も特になさそうだったので、
メールのやりとりをすることはないだろうと思っていた。
ところが、ある日の晩に彼からメールがきた。
内容はたいしたことではなかった。
メールがちゃんと届いたかの確認程度のものだった。
それだけだったのに、私はなぜか嬉しかった。
自分がなんでそんな気持ちになるのか、
全く分からなかった。
考えた末、私が男友達とメールをするのが初めてだったから…
という結論に達した。

 受験期間に突入し、どこの大学も受からずに不安でつらかった時。
支えてくれたのは親でも、友人でもなかった…明宏だった。
彼に励まされると、本当に頑張れそうな気がした。
彼からの言葉が欲しかった。
受験の間、私たちはメールのやりとりをし続けた。
毎日、毎日…一日にするメールの回数も半端じゃなかった。
こんなにメールして迷惑かもしれないと思いながらも、
返事がくるので私もメールし返した。
その繰り返し…。
どちらかが試験がある日の朝は励ましのメールを送った。
私は彼からメールがくると、やる気がでるのが分かった。
また、試験中に孤独を感じることはなかった。
安心したし、落ちつくこともできた。

 明宏とのこの関係は受験の間だけのことで、
受験が終わるとともに彼とも終わりを告げるのかと思っていた。
しかし、そうではなかった。
塾に行かなくなって会えなくなっても、
塾にいた時以上に話をした。
くだらない話、たわいもない話。
意識しなくても、日常の一部分と化していた。
大学生になるまでの長い春休み。
ほとんど何もない日々の中での唯一の楽しみであった。
私は彼になんでも話せた。
自分の弱い部分や嫌な部分、
そんなものを全部さらけだすことができた。
彼はその全てを受けとめてくれる気がしたし、
実際にそうであった。
二人は認め合った。
こんなになんでも話せる異性の友達は初めてだと。
親友だよね…と。

 それぞれ違う大学に入っても、メールのやりとりは相変わらずだった。
そして今日、久々に会って映画でも見ようということになったのだ。

 「思ってたより映画、面白かったね」
ギリギリ上映時間に間に合い、
無事最初から最後まで見ることができた。
私たちは映画館をでて、すぐ近くにあったベンチに座っていた。
映画の話をしたりして、まったりとしていた。
明宏が携帯をだして、時間を見てから言った。
「そろそろ六時だけど…夕飯、食べる?」
「そう…だね」
私は彼の提案に少々驚いた。
どうやら彼には課題があるらしく、
早く家に帰った方がいいといった雰囲気をだしていたからである。
いいのかな…と、悪びれた気持ちでいながらも、
適当な飲食店を探した。が、なかなか決まらなかった。
私は特に食べたいものがなかったし、それは彼も同じようだった。
明宏はベンチを見つけては座り、煙草をふかした。
そして「疲れた…」を連呼した。
私はあまり構わずに放っておいた。
それはいつものことであったからだ。
彼は常に眠そうにしていて、疲れてだるそうにしていた。
むしろ明るく元気いっぱいという姿を見たことがない。
口数少なく、寝ているのか起きているのか分からないような、
ぼーっとしている空気を彼は持っていた。
そういうのが彼であると思っていたし、
私も嫌いじゃなかった。

 だるそうな彼をつれまわして、やっと食事する場所が決まった。
和食というか、丼もの中心の店である。
「さっぱりしたのが食べたい」と、彼が主張したからだ。
私たちは向かいあって椅子に座り、メニューを眺めた。
食べたいものはすぐに決まって注文をした。
まず、お酒が運ばれてきた。
二人は乾杯など特に交わさずにグラスを口にする。
大学でのことなどを話していたが、
食事が運ばれてくると、会話はどこかへ消えてしまった。
私はもともと食べながら話すのが好きじゃなかったのだが、
この時ばかりは何か話して、話に集中するべきだった。
お酒と沈黙が、私をおかしくさせた…。
私の中でうずまく感情を、私は止めることができなかった。
私に重く、重くのしかかってくる。
私はその重さに耐えられなくなりそうになる。
それは態度にでてしまっていたようだ。
「どうしたの?」
彼がそう尋ねてきた。
「…どうもしないよ?」
ぎこちない答えをした。

 食事をしてから、外をぶらぶら歩いた。
もう夜だったので、空は真っ暗だった。
彼は手すりに寄りかかりながら、また煙草を吸った。
「よく吸うよね…」と、
私はその隣で呆れながら呟いた。
周囲にイルミネーションが輝き、
人々のざわめきが遠くの方で微かに聞こえる。
寒くもなく、暑くもない、心地よい夜の風が吹いた。
「すっげぇなぁ…」
そう言った彼を見た。
彼は口を少し開けながら空を見上げていた。
「星が見えるよ」
彼の言葉につられて、私も見上げてみる。
「うわー、本当だ!」
空には数粒の星が瞬いていた。
こうしていると、空の闇に取り囲まれ、
吸い込まれてしまいそうだった。
「観覧車に乗りたい」
「はぁ?」
明宏の突然の一言に、私は変な声をだしてしまった。
「なんか、夜景見たくない?乗ろうよ!」
彼は少年のようにはしゃぎながら、
近くの小さな遊園地に私を連れて行こうとする。
「え…いや、待ってよ…」
私は彼の誘いに応じなかった。
どう考えても観覧車に乗るのはマズイと思ったからだ。
絶好の夜景。
密室の中に二人。
絶対に回避しなければならない状況だ。
本能的に危険のサインがでていた。
彼の提案にのらない私をみて諦めたのか、
彼はややしょんぼりしながら何も言わなくなった。
私がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、
彼は新たな提案を投げかけてきた。
「じゃ、あれにのぼろう」
明宏が指差した方を見た。
69階建てのてっぺんにある展望台だった。
少し迷った。
しかし、彼の切望している顔には勝てなかった。
いや、そんなのは単なる言い訳で、
私も望んでいたのかもしれない…。
「…わかった」


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