黒き夢の中で


 こうして私たちは、展望台にのぼることになった。
そのためには千円かかるのだが、彼は私の分まで払ってくれようとした。
さすがに私は断った。
実は今日の映画代も、食事代も、
彼がさりげなく払ってくれていたからだ。
これ以上彼におごってもらうわけにいかなかったし、
その理由もなかった。
耳が痛くなるエレベーターに乗り、69階に着く。
360度張りめぐらされたガラス窓から見えたのは、
闇に浮かぶ無数の光だった。
「うわ…すご…」
私は感嘆のため息とともに声をもらした。
私たちは窓にへばりつくようにして下界に広がる光の洪水を眺めた。
しばらくの間、二人に言葉がなかった。
ただただ、目の前に広がる夜景を目に映していた。
彼の横顔を盗み見した。
いつも見せる妙に大人びた顔の中に、
夜景に夢中になっているあどけなさが見え隠れした。
思わず笑みがこぼれた。
「え、何?どうしたの?」
「なんでもないよ」
「なんだそれ…まぁいいや、ちょっとあそこ見てみろよ」
「どれどれ?」
私たちは夜景から発見できるちょっとしたことを教えあった。
とても楽しいひとときだった。

 それから三十分後くらいで、展望台は閉館となってしまった。
もう帰るのかと思いきや、
建物からでる時に彼が発した言葉で一気に帰りたくなくなった。
「…一緒にいると、落ち着く」
そんなことを誰かから言われたのは初めてで、
しかも言ってくれた相手が彼ということもあって、
ものすごく嬉しくなってしまった。

 結局、建物から出てすぐ近くにあった広場のベンチで、
少し話していくことになった。
明宏は相変わらず煙草をふかし、私は硬直していた。
もう、胸の高鳴りが押さえきれない…。
言ってはいけない…と思いながらも、
理性の歯止めが利かなくなった。
この先のこととか、どうでもよかった。
「私…」
明宏が煙草の灰を灰皿に落とす。
「私、やっぱり…明宏が好き」
彼への告白は、これが二度目だった。

 明宏を好きになってはいけない理由。
それは彼が私の友達の彼氏だったからだ。
彼と私が出会った時に二人は既に付き合っていて、
もう一年以上が経とうとしていた。
後にふられてしまうが、
その時は私にも好きな人がいた。
明宏のことは友達だと思っていた。
本当に仲の良い友達、なんでも話せる親友だと。
しかし微妙にズレ始めていたのを、
二人は感じていた。
「このままじゃ、親友以上になっちゃう」
その彼の言葉通り、
距離を置いたにも関わらず、
私たちは自分の気持ちに気づいてしまった。
大学入学式の夜。
私は彼に電話をかけた。
「あなたが、好き」
苦しかった。この一言が。
私は友達の彼を好きになるという罪を犯した。
そんなこと、最低のことだと思っていたのに…
友達がどれだけ彼を好きでいるか、
その気持ちも知っていたのに…
しかしその時ばかりは、そんなことどうでもよくなってしまった。
初めてだった。
周りのことなんかなりふり構わず、
ただ彼のことしか見えなくて、
ただ自分の気持ちしか見えなくなったなんて。
…自分のことが信じられなくなった瞬間だった。
彼は言った。
「俺も好きだけど…彼女と別れることはできない」
私たちは思っていることをぶちまけて、
心につかえていたものをすっかり消し去ってしまった。
すっきりした二人は、友達でいることを決めた。
それから二人は、友達としてやってきた。
ほぼ毎日メールしたし、
たまに電話もした。
今までと変わらない関係がまたゆっくりと、少しずつ、
私の中で彼に対する気持ちを蓄積させていった。
これ以上踏み込んではいけない…と思いつつ、
今日会ってしまったことで、
その歯止めはもろくも崩れさった。

 「もう少し、早く出会いたかったな…」
「そしたら、私と付き合っていた?」
私は冗談っぽくそう言った。
すると意外にも真剣に彼は返してきた。
「そうだな…」
それが、彼の答えだった。
「なんかさ、さっきも言ったけど、
 一緒にいると落ち着くんだよ…彼女とはそう感じない」
最高の誉め言葉であり、
ものすごく痛い言葉だった。
「それでも、彼女と別れることはできないんだよ」
彼はそう言って、煙草を吸って煙を吐いた。
白い煙が、空中で消えた。
私の目から涙は流れなかった。
彼女のことが憎いとは思わなかった。
嫉妬もなかった。
彼のことを好きだという気持ちが、
宙に浮かぶだけだった。
どこにも行き場がない、この気持ち。

 それから、その話題に一切触れることはなかった。
二人とも何事もなかったかのように、
ただ何気ない会話を楽しんだ。
お互いに笑顔だった。
いつまでも、この時間が続けばいい…
そう、悲しんでいた心の中で強く願った。
顔にはださなかったけれど。
とてもだすことはできなかったけど、
ものすごく悲しかった。
彼に気持ちを受け入れられなかったこともだけど、
もう二度と、こうして彼とあえない予感がしたからだ。
そんな不安を胸にしながらも、気づかれないよう、
私は笑顔を彼に向け続けた。
彼もまた、笑顔だった。
いつからか、自然と笑いあえるようになった。
駅で別れる時の彼の笑顔を、
今でも忘れない。
「今日はありがとう…またね」
「あぁ、また」
二人で直接交わした最後の言葉だった。


 それから数週間後のことだった。
彼との友達という関係にも、
終止符が打たれることとなった。
全ては、私が彼への気持ちを完全に捨て切れなかったためである。
「もう、携帯から俺のデータ消して」
私との唯一の連絡手段を途切れさせることを彼は望み、
私との関係を一切終わらせることにしたのだ。
そこで、私は初めて泣いた。
彼に対して何かを感じるより、
ただ泣くことしかできなかった。
もう、友達としても彼のそばにいることはできない。
なんでもよかった。
彼のそばにいられるのなら…。
明宏との繋がりを、少しでも持っていたかった。
なぜ自分がもっと感情をコントロールできなかったのか、
ものすごく後悔した。


 彼のことはもう好きだとか、
そういった感情はもっていない。
しかし、私の携帯には彼のデータが今でも残っている。


Fin

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